疲労の種

日々

本当の休日

せっかくの待ちに待った休日だから、なぜかきちんとのんびり過ごさないといけないという強迫観念にとらわれてしまっているね。本当の休日とはなんの予定もなく、風の吹くままのんびりと何もしないで過ごす余暇であるはずなのに、ウィークデイ以上になにかしなければならないと思い込んでいる。いつもの日常とは全く違った本来の日々を取り戻そうとして、実は平日よりもとても忙しい休日となってしまう。あれもこれもとあっという間に過ぎ去る休日を惜しむように大急ぎで予定を詰め込んでいる。それは一体本当の休日なんだろうか。それが証拠に充実感と引き換えにある意味疲労感も強く感じてしまっているからね。

差異

仕事の疲れと休日のその疲れと何が違うのだろう。仕事はいやいやすることで、できれば避けたいことばかりだけれども僅かな日銭を稼ぐために仕方なくやっている。だからその疲労は筆舌に尽くしがたいものである一方で、休日のそれは、その疲れもなぜか心地よく感じている。そこに大きなヒントがあるね。同じ今日も疲れたと感じているにもかかわらず、仕事では最悪だと不幸の真っ只中にいるような気がするのに、短い休日がゆえに普段よりもさらにあれもこれもと欲張って詰め込んでしまって、おそらくは仕事の疲れ以上であるにも関わらず、あなたはにこやかに過ごしている。なら、疲れるということ自体に本質的な違いがそこにあるのかと探してみたところで、やっぱり疲れること自体には差異はないようだ。

疲れの本質

それらの考察から、疲労そのものに良いも悪いもないみたいだ。あなたがそれを心地よく思っているか、不快に思っているかですべては決まっている。つまらない日常で仕方なく働いた疲労は、すぐさま娯楽や酒で解消しなければやってられないと思うそれで、娯楽や趣味で生まれる疲労は、それとは全く違う充足という意味をもたせることができる。そうであるならば、少しの休日に適用するよりも、普段にそれを適用したほうが、心地よい時間を増やすことができるね。疲労は不幸ではない。疲労はむしろ心地よいものである。仕事の疲れの反動で休日が待ち遠しくなるよりも、普段から心地よい疲労感を味わうことができる方が幸せになれるに違いない。肉体的にも精神的にも心地よい疲れはあなたの人生の隠し味のようなものなんだからね。