自然なあなた

日々

知らない世界

あなたが知っていることが世界のすべてだ。だから知らないことや見えないことを感じる取ることはとても難しいね。あなたはこの世界をいつの間にかすべて知っているつもりになっているけれども、それは残念ながら表面的な一部に過ぎない。そこで謙虚さや畏怖の感情が芽生えるわけだ。ところがすべてがそれだと思いこんでしまうと、一事が万事あなたの世界はあなたの中で決定してしまう。その結論をもとにいろんなことをジャッジすることになるから、おおよそすべてが不完全になって不幸の連鎖が生じてしまうことになる。だから、これがすべてだと思いこんでしまうときに、少しだけ余白をもたせた方がいいのと、常にその結論に揺らぎがないかを観察する癖をつけることができると強くなれる。そう、あなたは何も知ってはいないわけだからね。

ルーツ

まずはあなたのルーツを辿ってみよう。するとあなたはすべてが万事だと思っていた世界のほんの一部しか辿れないことに気がつくだろう。世代の記憶があったとしてもせいぜい2世代かよくて3世代ぐらいで行き詰まってしまう。それ以上は書物に記されていなければもはや知る由もないね。もちろん、今ここがすべてだと言っても間違いではないし、それがあなたそのものであることには間違いない。けれども、だからといってすべてがそれだと思いこむにはあまりにも刹那的な結論になってしまう。可能性は無限大だという夢物語を信じろと強要するわけではないけれども、あなたが知っていること以上の何かが常に起こってきたことを鑑みるに、その結論も早すぎることがわかるだろう。あなたは何もしらないまま、ここにいるわけだし、それこそ何も知らないままここから去ることになる。もちろんそれで十分だとも言えるけれども、それ以上の何かを求めているのも事実だね。

足るを知る

だからといってわからないことを知ったかぶりしたところで、何かが変化するだけのパワーを持っているわけではない。むしろそうすればするほど、表層的な世界にとどまってしまって薄っぺらい人生を嘆く羽目になるのがオチだね。その一方で謙虚であれと思ってそうしたところで、あなたの世界に厚みが生まれるわけでもなく、むしろ薄っぺらさがさらに強調されてうんざりするだろう。ならどうすればいいのだという声が漏れるだろう。あなたの人生は思っているほど絶望的でもなく、かといって思っているほど重厚なものでもない。表面的な理解しかないとしても、その向こう側には大いなる自然を感じられるとすれば、それ自体でなぜか充足感が得られるだろう。大自然の脅威を目の当たりにしたとき、自然とあなたは謙虚になっているし、表面的な結論を急ぐこともない。そう、自然をしっかりと見つめることですべてが解消されるわけだ。その理屈は全く持ってシンプルなんだけれども、あなたもその大自然の一部でしかないからそうなるわけだ。