思考ゲーム

日々

悩み

実は悩み続けるというのは至高の贅沢で、あらゆる諸条件をクリアしないとそうはできない奇跡に近いものだ。そう言うとあなたは即座に反発して、人の気持ちも知らないで、と言いたくなるだろう。でもそれがその証拠でもあるんだ。悩むためには過去の記憶を辿る丁寧な論理展開と、それに必要となる十分な余暇がないとできないからね。悩みをふと思い出すときは、湯船に浸かってのんびりとしていたときとか、寝入りばなのときだとか、通勤途中にふと何もやることもなく無意識な状況のときに限るね。逆に、常になにかに追われているときとか、忙しくてそれどころじゃないときには完全に消えてなくなっている。悩みはあなたが暇なときに生まれているね。そしてあなたがそれどころじゃない出来事に対応しているときにはきれいさっぱりに消えてしまっている。

思考

思考停止だと揶揄されることが多くなって、思考を止めた子羊たちはもはやロボットのように反応だけで生きているように見下されてしまう。ところが、それに反する意識高い系が生み出す論理的結論もまた、何かを変えるほどのインパクトを持たない。逆に思考をすればするほど最悪な選択と結果をもたらすことがほとんどだね。深く思考することと知的活動が同列に語られることが多いけれども、それは全く異なることを乱暴にまとめて同じものだと見誤っているに過ぎない。思考なんてものはそういう意味では害悪しかもたらさないものになっているのが、皮肉な現実であり、それによってあなたは感じなくてもいい余計な不幸を一挙に背負うはめになっているわけだ。だからといって思考をわざと止めようとしてもそれは無駄な悪あがきでもある。ただ、思考は人生のエンタメとしては間違いなく至高なものであるということだけを知っていれば良いね。

行動

頭でいくら論理を組み立てたところで、それを実行しなければ動物の世界としての変化は望めない。例えるならば、建築士が理想のマイホームの図面をいくら引いたところで、それを実際に建築というフェーズに移さない限り夢のマイホームは一向に実現できないのと同じだ。おそらく理想を追い求めて思考に思考を重ねれば重ねるほど、それで人生の制限時間いっぱいとなって終わるだろう。それよりも、不完全で未熟でもいいから、今すぐにできることを大切にした方が、あなたの世界は一変すること間違いなしだ。それと同じで悩んでいる暇があれば、今できることをやることだ。それでおそらくはほとんど失敗に終わって悔しい思いをするかもしれない。けれども、失敗だと思っているその体験は、実は失敗なんかではなくあなたとってそれがすべてであり、それをやるために今この世界に存在してるわけだよ。だから、思考なんて実はそもそも実在しているかすら不明なものだと言っていい。