どう生きるのか

日々

どう生きるか

人としてどう生きるかというのは、いつの時代も世間話としておそらくは定番の話題だろう。あるべき姿というか、これが正しいと断定はしないまでもそれまでの時代背景を色濃く反映した、いわば哲学と呼ばれる価値観がそこに横たわっている。もちろん社会で生き抜くための知恵がそこかしこに散りばめられたいわゆる倫理観のあるべき一つの姿として提示されているわけだけれども、それが万人受けするようなものでは必ずしもないね。仮にあなたにぴったりと合うものであれば膝を打って同意するだろうし、全くあなたの今の気持ちにそぐわないものであれば説教じみたつまらないものと映るだろう。それぐらい「あるべき姿」というここにはないものを描くのは難しいということだ。どう生きるかを語るというのは、あなたがそこにいることが前提となっているけれども、その拠り所が不安定なものであるという証左でもある。

あるべき姿

あなたはいつも謙虚で、足るを知る生活を送り、あなたに関わる人の気持ちを大切にしようと努めている。ところがそれをやろうとすればするほど、他人や社会と交わるあなたの存在が大きくなりがちだし、逆にそんなことは気にもとめず、しなやかに生きようと思考したところで、まずその通りなんてできるわけでもない。となればあなたはどうすればいいのかという問いに関してある一つの答を出そうとすればするほど、どんどん周りから乖離して生きることとなってしまうね。そしてそんな疎外感を心の奥に仕舞い込んで、身動ぎすることもなく息をひそめることが正解だと勘違いしてしまうわけだ。あるべき姿というどこにもないあなたの答えは、どちらかというとなにもかもあなたのうちの中に色濃く残り、それらを消化不良のまま無理やり飲み込むような人生を良き人生だと勘違いして、ずっと間違えてしまうことになる。

エンターテイメント

できればあなたの人生はメイクドラマのようにエンタメ的な要素を求めている。だからあなたの思考や行動は、最後にはハッピーエンドであることを無意識にこれまでずっと求め続けている。奇跡の大逆転のようなものを知らず知らずに求めている。それは、あなたがこれまで見聞きした漫画でもドラマでも偉人伝でも、それが根底に共通のものとして流れているからだ。そのためには不遇な少年時代も伏線として必須だし、その後の苦労話も人気がある。そして晩年にはそれらの苦労と不満が一気に解消されて、夢のようなエンディングを迎えることを期待しているね。終わりよければ全て良しという物語が最高だと思いこんでいるからだね。だからこそ、こんなはずじゃないと自問自答し続けているわけだし、何があっても最後には笑うことができるはずだとギリギリやり過ごすことができている。でも、よく考えればドラマや小説には必ず終わりがあるからそういう展開になりがちだろうけれども、あなたの人生もそうであるのかどうかは誰にもわからないよね。