不幸と感謝

日々

不幸

いつも足りないことばかり嘆いて、いつか満ち足りた瞬間が訪れることを心待ちにしている。その状態から本当の幸せは何であるかを感じ取れるだろうか。幸せになりたいと思えば思うほど、満ち足りていないことばかりにフォーカスが当たってしまう。逆に今が幸せだと感じている人は、満ち足りていないことすら気がつかない。すべてが十分であり、不足を見つけることのほうが大変な労力とエネルギーが必要になる。すなわち、不幸だとか、ついてないとか、足りないと思っているからこそ、いつか幸せになりたいと思えるという矛盾がそこにある。もっと言えばそれはどういうことか。不幸を嘆き、いつかの幸せを願うことができる状況にあなたがいる。そしてそれが本来の幸せの真っ只中であるからこそ、不足を見つけることができるわけだ。

ないものねだり

現代社会のコンクリートジャングルに住むあなたは、たまの休日にはアウトドアと呼ばれる大自然の中に身を置きたいと願うことができる。もしあなたがすでに大自然あふれる田舎に暮らしているのなら、たまの休日に自然の中に身を置くことは日常と変わらないね。不足を感じたり、いつかきっとと夢を求めたり、不足を感じているあなたは、もうすでに豊かさを手に入れていることになる。同じく、悲しみに暮れているからこそ、いつも笑っていたいと思うわけだし、今が苦しくて仕方がないと嘆き悲しんでいるからこそ、安楽な日々を求めることができる。実は充足しているからこその不足であって、不足の真っ只中にいるとそれが不足であるとは気がつかない。ということは、不平不満を語ること自体が、幸せであるとも言えるね。

感謝

だから、あなたがもし不幸せを感じられているのなら、感謝で溢れていることと同じだね。もしなんの不満もないのなら、ある意味あなたは感謝の真っ只中にいる。しかしながら、真っ只中過ぎてそれ以外の世界を垣間見ることは難しくなる。すなわち、あなたが切望している満ち足りた世界が実現したとすれば、それ以上の何かを発見することが困難になることを意味する。満足してしまえばそこでゲームオーバーだと言われるのは、そういうことかもしれないね。あなたがそうではないからこそ、いろんな扉が見つかるわけだし、それを開くチャンスがそこにある。すなわち、あなたの不幸こそ、感謝すべきことなんだ。そう、不満や不幸とは、まだ見ぬ世界へ続く道のことだったわけだね。