まだ知らないという豊かさ

日々

全知全能

あなたがペラペラといろんなことを話すことができるのも、実はそれはとても偏った知見しかなく、実は何も知らないからだ。仮に皆がそれぞれ一番だという望みが叶うならば、あなた以外の誰もがすべてがそうなる。それを知らないまま偏った知識しかもたないからこそ、それぞれがわれこそが一番だと喜んで自慢話をするだろう。ところが、全てが叶って世界で一番だと思っていたけれども、実はそれはあなただけではないと知った瞬間に、おそらく皆が大いなる不満を持つようになる。そう、すべての人が幸せな世界がもし叶ったとしても、それをすべての人が知らないままでいることが必須なわけだね。だから、すべてを知れば知るほどプラスマイナスゼロになってしまう。そうなるとあなたが今ペラペラと語っているそれも、実はそれ以外のすべても知ってしまえば、あなたはもはや黙るしかなくなってしまうね。どうやらすべてを知ることは、思っていた理想の世界とは全く違うもののようだね。

過不足

だからこそ、いつもあなたはある意味十分に幸せを感じる瞬間があるとともに、この望みだけはどれだけ努力しても得られないという不満を同時に持ち続けることになる。でもそれこそが真の幸せとも言えるね。大幅に欠損している状態では、そんな余裕すらもなくおそらくあなたが出現して何か物申す暇もなく、目の前のことの対処に追われているだろう。そうしてようやくそれらが一段落したその時、あなたはその経験を評論家のように語る余裕が生まれている。だから、いつも文句言いだと思われているあなたは、それだけ余分な富を得ているということになる。あなたの弁論は余裕がある人にはとても良く響くだろう。けれどもまだその段階にすら到達していない人には全く届かない。そもそも評論なんていうのは余白の現れであり、だからこそ大切にされてきたわけだ。文化として重視される批判精神がさらに多くの人の手助けになるからだね。

沈黙

今はAIがなんでも引き受けてくれると話題沸騰だね。今のAIはとても便利な反面、どこか愛おしく感じる不十分さも兼ね備えている。ある意味、あなたにとってそれはとても親しみを感じる状態だ。ところが今後学習が進んでいくに連れて、人類をもし凌駕するほどの知識を得たとしたら、もはやAIに問いかけたとしても口数はどんどん少なくなるというジレンマがそこに含まれている。おかしな話だと思うかもしれないけれども、優秀になりすぎてすべてを知ると必然的にそうなってしまうのがわかるかな。あなたにとって皆が世界一だと思える豊かな世界を思い描いていて、それが実現していると知ったとき、あなたはすべてに称賛を語ることができるとシンプルに思っているかもしれない。けれども、必ずその反対側があってのこそだとわかってしまっていたら、あなたは雄弁に語ることができなくなるだろう。全知全能とはそういうことだね。