あふれる豊かさ
お金持ち
現代の子どもたちの夢はなにかと問うと、有名人かお金持ちという答えが返ってくることが多い。それを聞いたあなたは殺伐とした時代背景を感じ取っているだろう。もちろん、無邪気に答える子どもたちの目に一点の濁りもないし、何か画策してそう嘯いているわけでもない。純粋にそれができたらいいなという夢でいっぱいであるがためであり、それが生きる目標として特に小賢しい計算があるわけでもない。ユーチューバーやインフルエンサーがキラキラと輝いているように見えているわけだし、いつかきっとそうなれることができたらいいなというシンプルな動機だね。逆にそれがシンプルで純粋であるがゆえにあなたはより複雑な思いになっている。ちょっとだけ人生の先輩としてあなたが子どもたちに伝えられることを、あなたは今持っているだろうか。
遊び
どんなに精巧なものにも、許容される誤差が設定されている。もちろん極限までそれは小さな値だろうけれども、その公差というものがなければ実現することはできないね。遊びが少ないと全くシュアなんだけれども、それを一律にすべてのものに追い求める傾向にあるのが現代社会だ。遊びを極力減らして、合理的に無理・無駄を排除することが正解だと思いこんでいる世界だね。ところが、本来の豊かさはそこにはないことにも気がついているだろう。なんの変哲のない街のラーメン屋の店主は日夜よりおいしくラーメンを作ることに没頭している。すでに有名行列店であるかどうかに関わらずそうしたいからそうしているだけだね。そのために出汁の具材を変えたり、麺を改良したりしている。それらをやったところで、明日からラーメンの価格を10倍にできるわけでもないのにね。それは合理性の観点から見るとまったくもって無駄なことかもしれない。けれども、そうせざるを得ない衝動がそこにある。
真の豊かさ
そう、それはお金がたくさんあるから幸せでも豊かでもないことを表している。ラーメン屋の店主は合理的に、そこそこの素材で高い利益率を稼げる商品をすでに持っている。だから逆に言えばそこからそこまでしなくても味と品質が劣化しない要素を見つけ出してコストダウンすることが正解だとされている。でも彼は純粋にうまいラーメンを求めている。だからこそ無駄な悪あがきを続けている。けれども、経済的合理性とは間逆なそれらにとてつもないやりがいと生きがいとその喜びを感じているね。その豊かさはもちろん売上や利益にいずれ結びつくかもしれないけれども、そうでなくても彼はすでに世界一幸せなはずだ。別に有名でなくても、別に大金持ちでなくても、日々うまいラーメンを求めて創意工夫していることで、真の豊かさをそこで手にしているわけだ。それを子どもたちに伝えることも彼の使命でもあるんだよ。何も心配しなくてもいい。彼のその豊かさは自然と溢れているからきちんと多くの人をすでに幸せにしているね。