不完全な人生こそ完成形
一日
今日一日、いろんなことがあったね。すべてうまく行ったわけではないけれども、できるだけ精一杯に生きることができたかな。そうした生きている日々が、今日も終わるわけだけれども、がむしゃらに今できることをやったとしたならば、それで十分だ。もちろん、明日に持ち越しのこともあるだろう。けれども、今に集中して毎日が過ぎていくことそのものが、かけがえのない人生を送っているということだから、心配はいらない。魂を燃やして生きるとはまさにそういうことであって、すべてが思い通りになるとか、今すぐ結果が得られるとかそんなことではない。あなたが思うそれらは、生きることそのものとは実は全く関係ないことだ。思うようになるとかならないとかにとらわれてしまっては、今できることすらも躊躇してしまうことになるからね。
人生の意味
そういう意味では、今日という日を精一杯に生き抜くことが人生の意味になる。決してまだ見ぬ未来の夢が叶うことではないし、思い通りに結果でるような人生を意味しているわけではない。それとは真逆で、思い通りに全くならなくてもう笑うしかないような状況の中を、笑って対応することそのものが真の人生の意味となる。あなたの人生は間違いなく、そうやってこれまでも組み立てられてきたわけだし、もし明日が来るとしても同じように一日一日を同じように生きていくしか術はない。その奮闘記があなたの生きた証であり、それこそあなたが本当の意味で切望している人生そのものなんだからね。なんでも思ったとおりになるとしたら、あなたはすでに生きてはいないのと同じことだ。
かけがえのないあなた
すべての人は、生きているか死んでいるかわからないところで夢みたいな人生を感じ取っている。不幸だと思いこんでしまってはすべてがそうなるわけだし、幸せに満ち溢れた人生だと思ったらそうなるね。何をどう評価し、どう捉えるかですべては決まるのであって、何か客観的な要因で他の誰かにジャッジされるようなものではない。だから、あなたが充実して素晴らしい人生を体験したいと思うのならば、今置かれたその場所で、そこに集中して正しいとか間違いとかそんなレベルでジャッジするのではなく、それがどうであれあなたがやりたいようにやれたかどうか、それが全てだね。もちろん100%できたなんてことは滅多にないだろう。そう、それでいいんだよ。それができないからこそ、かけがえのないあなただけの人生がそこにあるわけだからね。