苦労話はすべて嘘
何もできない
あなたは常々何もしない楽な人生を夢見ているね。そのためにお金がたくさんあれば安心できると思っているし、辛くて我慢しなければならないことから開放されると信じている。ところが、あなたはその何もしないでいいという状況に一番不安になる。欲しい物を手に入れるために、日夜ネットで調べて、嫌な仕事でもそのために頑張れるのに、いよいよ手に入れられる当日にワクワクしながらお店に向かうと、お店の自動ドアが故障して開かない。あなたはその修理の時間でさえイライラしている。おかしなもので、それまではそんなことと比べ物にならないぐらいの苦痛を味わってきたはずなのに、当日お店の自動ドアが開かないので少しだけ待たされることにとてつもなくストレスを感じている。あなたの苦痛の正体は、そこではっきりとわかるね。そう、あなたの意思でどうにかなる苦痛は実は苦痛ではなく、何もできることがないこと自体が本当の苦痛であるということだ。
不満の正体
そう、不満の正体はあなたとは関係のないところでも何かしていたいという自我がそれを引き起こしていることだね。とにかくあなたの希望に向かってコツコツと苦痛に耐えているときは、実は苦痛ではない。苦痛だと思うことで充足している状態だということだ。不幸自慢やアンラッキーはネタになるとされるのはそういうことだね。あなたが主体的に不幸になったり、不安になったりしているのは、実はあなたがわざわざ生み出した演出でしかない。だから、それがどれだけ大変かを語ることができるし、何なら同情を買うことでさらに満足を得ることができる。ところが、あなたが何も出来ない、なにもしない時間のほうが、真の意味であなたは不安にかられるわけだ。そうして制御不可能な状況こそが、本来の不幸であり、それをあなたはできるだけ防ぐために常に何かをし続けているわけだ。
うまく行かない
だから、思ったとおりにいかないとか、うまく行かないことはすべて「メシウマ」なネタだと思っている。偉人伝のように、境遇が恵まれてなかったり、若い頃にとてつもない苦労をしたほうが、後半のサクセスストーリーがより際立つ事も知っているね。猛暑の中を20分も重い荷物を持って歩いてきたことは、話のネタにはするけれども実はそれほど苦難だとは思っておらず、そうしてついた店のドアが壊れていることに最大のイライラを感じているわけだ。だからこそ、余計なことばかり常にする癖がついているし、それのせいで不幸だという演出を手放せないでいる。そう、あなたの不幸はすべては作り話でしかなく、本当の意味で何も出来ない、何もしないことを恐れている。だから真面目なあなたも、それほど虐げられたとしてもそれを乗り越えて頑張っているあなたはほとんど嘘で出来ているということだね。