おかげさま

日々

どんどん変わっていく

普段何も気にしていないけれど、ふとしたときにこの世はどんどん変わっていっていることに気づく瞬間があるよね。生まれてこの方、自分は自分と思い込んでいるけれど、実はどんどん変わっている。当たり前だよそんなこと、と自分の頭は言うけれど、実感として感じる瞬間っていうのはそれほどなかったりもする。二度と同じ日は来ない。だけれども、頭の中では変化のない、つまらない毎日を感じているのはどうしてだろう。刻々と変化し続けていてひとときも同じではないのに、何も変わらない、変わることができないと嘆き、一人行き詰まって、飽き飽きした日々を過ごしている。

ちゃんと見る

ほとんどちゃんと見ていない。感情や一時の心の動きに惑わされて、目の前の流れ行く景色すらまっすぐに見つめられない。誰かに向けられた何気ない言葉を見てぱっと起こる感情がフィルターになって、よく読むとなんでもないことなのに激しく動揺したりする。感情に支配されて良い悪いを瞬間に判断し続けている。一度その罠にかかってしまうと、どんどん判断が狂い始めて何もかもが悪いことのように見えてしまう。すべてはちゃんと見ていない。まっすぐにありのままに、あるがままに見つめることを忘れていくのが大人になるということ。要するに手抜きする癖がついてくるよね。良く言えば省略上手になるってことかな。デザインの世界ではデフォルメとか呼ぶよね。大雑把に見て理解してるつもりのモードになると、自分を見つめることがとても辛くなるのは、しっかり見る能力をどんどん「大人」フィルターが狂わせてしまっているんだね。

雲の隙間から見えるのは

いわば、いつもは雲の中にずっといる。外は晴れているんだけど、心の雲に覆われていてそのことに気づかないね。たまにキラキラしている他の人が見え隠れするんだけど、それが余計に心に影を落とす。どう頑張っても、自分の姿はそこでは影でしか見ることができないから、そのままをさらに見られないし、ましてや黒色の影の自分を見たくない。そうするとまた自分で雲をつくってさらに見えなくするんだ。実際はこんなにきれいな景色が広がっているのにね。いつもそうだから、感情の雲の切れ目に見える景色に一瞬だけ、はっと息を飲む。

おかげさま

自分は光に照らされた影でしかないんだよ。光がなければ影としての自分はどこにも見えないから。キラキラした光の色に染まるいろんなものの間に影となる自分を感じる。影には色はない。けれど、影でいいんだよ。影は光が作ってくれる。思っているようなきれいな色の自分は見えない。だけど確実にそこにいるから影ができるのよ。だから自分がここに生まれているのはまさに「おかげさま」だよね。それが自分の証なんだから。