大人とは
他人任せ
あなたはこれまでほとんどの人生を他人任せにしてきたね。それが証拠にいつも誰かと比べて、過去や未来を行ったり来たりしていることがほとんどだったわけだ。今に生きることを信条としつつも、今にいたことはほんの少しの時間でしかなく、ほとんどの時間は計画なり検討なり画策なりという思考実験で埋め尽くされてきた。なんでも思い通りになることに淡い期待をずっと捨てたこともないし、そのためにやっぱりあーでもない、こーでもないとまだ見ぬことばかりをシミュレーションしている。その計算結果がやっぱり思ったとおりのものではないという結論になって、その場から一歩も動かないままで、随分と時間だけが過ぎてしまったわけだ。
今を取り戻す
そうではなく、自らそれを取り戻すこともまた、どうやって取り戻せばいいかさえ思案にくれている。子どもの頃はいとも簡単にできたそれを、大人という仮面を被った瞬間に忘れてしまっているからだ。その秘訣も何もやりたいことをやりたいようにやるだけなのにね。大人という冠をかぶってしまうと、後先を考えて行動することが必要だと思いこんでいる。そんなことは大人、子ども関係なく誰にもわからないことだというのに。最善を尽くして最善の結果を得られるように行動するのが大人だというのならば、子どもの頃と違って未来を予言できる能力を備えなければならないわけだ。ところがそんな能力を得るための特殊な訓練とか、そのために必要な知見だとかをどこからも得られていない。それでもただ単に大人になったというだけで、特殊能力が発動できなければならないなんて、全くどうかしている世界にあなたは住んでいることになる。
今できること
喉が渇いたならば、水を飲みましょう。お腹がすいたら食事をしましょう。遊びたいと思ったらそこで遊びに興じましょう。すべてはそれだけでしかないし、それ以上のものでもない。いやいや生活のためには仕事をしなければならないから、ほとんどあなたの欲望とは関係なく会社や組織に従わなければならないのが大人だと言うだろう。確かに親の庇護から離れたあなたは自活するために、稼がなければならないのはそうだ。でも、仕事しながらも水は飲めるし、コップを握ることもできる。食事も取れないぐらい忙しいかもしれないけれども、隙間時間で何かを食べることはできるはずだ。遊びたいと思うのなら、仕事そのものを遊びに変えることも可能だ。あなたはどんな場所に置かれたとしても、あなたができることは減らないはずだ。制限はたしかにある。けれども、それを逆手に取ることもできるようになっている。本当の大人とはそういうことができるようになったということを表しているわけだね。