救いの手
虚栄心
なぜだかほとんどの人が、実際より大きく見せようと必死になってしまう。それは、社会を生き抜く上で大切な知恵だと思いこんでいるからだ。誰かと比べてどれだけ優位かを主張することで、ありもしない地位を獲得しようとしている。そしてその地位は尊敬されるためのツールであり、それがないと全く相手にもされず寂しい思いをするに違いないと思っている。だからほんの少しでも自らの優秀さを探し出して、すべての面では優れていなくても、この部分だけは譲れないというこだわりがどんどん強くなっていくね。そして悪いことにそれが一度でもうまく行ったという体験があると、もう何もかもすべてがそうでなければ生きていけないと思ってしまうわけだ。だから、いわゆるマウントを常に取ろうとする行動をせざるを得ない状況となって、その結果は言うまでもなく誰も幸せになんてなれない状況を生み出してしまっている。
トラウマ
それをこじらせてしまうと、誰かに素敵だと褒められたところで、あなたはそれを猜疑心の塊で受け取ってしまう。さらにそれは過去に誰かに真逆のことを言われた経験を根に持ち続けているからだ。素敵ですね、とか素晴らしいですねと褒められたところで、あなたはそれを全く受け入れず、謙虚さをある意味悪用して、そんなことを言う人そのものに何か他に魂胆や下心があるんじゃないかという捜査モードに突入してしまう。挙句の果てには、そんなことをあなたに言う人の人格を疑うことになってしまうね。おそらくその人はあなたにとって、変わり者であり、物事の本質を見極められないような取るに足らない人だと判定してしまう。その原因はこれまであなたが否定され続けてきた記憶そのものだ。でも考えてみてほしいのは、それは純粋にその人があなたを素敵だと褒めているということだけであって、単なる現象に過ぎないね。だから、それほどまでに深読みして勘ぐらなくてもいい。褒められて嬉しいという気持ちが少しでも湧いてきたならば、ストレートにありがとうと言えばいいだけの話なんじゃないかな。
使命
ただ残念なことに、あなたがそれを素直に受け入れる、受け入れないを問わず、褒められることなんて殆どなく、むしろ批判されたり貶されたりすることのほうが多い。だからあなたはやっぱり自分なんてたかが知れている存在だと再認識してしまうことになる。それが続くと、謙虚さを履き違えた、劣等感を常に抱えこんでしまうことになる。そしてすべてが信じられない世界になってしまい、ただ楽しく生きることすら難しくなってしまう。そうやって自分なんてとへりくだっているだけを超えて、褒めてくれる人が何か変な人だとあなたから距離をおいてしまうね。せっかくあなたを大切にしてくれる人がそこにいるというのに、なんともやりきれない話だ。そうやって実はあらゆる存在があなたにこれまでずっと手を差し伸べてくれたはずだ。それをすべて振り払った上で、幸せになりたいと呟いている。よく考えてみればおかしな話だね。