取捨選択

日々

選ばれし情報

今回の台風も地域的に大きな被害をもたらしたということで連日ネットでもテレビでも報道されている。それを目にしたあなたは、最近の自然の脅威がとても恐ろしいと感じてる。次の台風もどんどん発達しながら本州に接近していてせっかくの盆休みの計画をどうしたものかと思案にくれている。もちろん身を守るためにはそれらの情報を十分に活用した方がいい。けれども、情報が一瞬にして駆け巡るこの世界は、おそらく悲惨な状況だけが駆け巡る世界になるだろう。だって、例えばニュースでここは全く被害がなくセーフでしたよ、なんていう映像は流さない。それだと視聴率が稼げないからね。SNSでもそうだね。うちは平気でしたなんてネットで配信したところで、誰も気にもとめず話題から外れてしまうからね。そう、どれだけ悲惨で大変なものかだけが強調される世の中だということだ。そういう意味では全くフェアではなく、むしろ偏った世界観がばらまかれてしまうことを意味している。

怒り

それに対して、あなたは憂いでいるとともに、怒りさえ感じている。こうなった原因はどこにあるんだ、どうして防ぐことができなかったんだと探し回ることになる。ところが、大自然の脅威はどれだけ文明が発達して、あなたがそれをコントロールできる力を備えていると思っていても、実際それを避けられたことなんて一度もないね。それぐらいあなたは実はちっぽけな存在だし、人類の叡智を集結したところで自然にはまだまだ抗うだけの能力は備わっていない。おそらく今後も発展していくだろうけれども、どこかで自然をコントロールできるなんて牧歌的に思っているのはやめたほうがいい。そもそもあなたもその大自然の奇跡の産物であることに間違いないし、ほんの少し環境や状況やタイミングが変わるだけで、あなたはこの世にさえいなかったわけだからね。畏怖しながらも感謝して備えるというのがせいぜいのところだ。

受容

商業メディアの限界と、それになぞらえて色んな人がTVディレクターになっているSNSからは、そういった正確な情報は流れない。だから、さらに世の中に悲惨なことばかり起こっているように感じることが今後どんどん強まっていくだろう。あなたはその情報だけに囲まれて、悲観にくれることになるかもしれない。でも、もう一度いうと、もちろん被災地では事実大変な被害が出ていることは間違いない。連日どれだけ悲惨だったかを競うように報道が過熱しているね。でも不思議なことに暫く経つとさらに皆が注目するようなどうでもいい痴話一色になっている。それに翻弄されてしまうぐらいなら、あなたの目の前をしっかり見つめたほうがいい。もちろん遠い異国で起きていることは直接見ることはできない。けれども、それぞれが目の前の姿をしっかりと見て対処することができたならば、それほど悲惨な世界とも言えなくなるんじゃないかな。だって、報道では不安を煽るためになんでも初めてだと強調するけれども、実際は歴史的に何度も繰り返されていて、その時々に生きた人たちが精一杯対処してきたからこその今があるのは間違いないのだからね。