大転換

日々

学び

もうこの歳になってリスキリングもへったくれもないと思っている人が思っている以上に多いね。二十歳になったばかりの子でさえ、もう10代ではないとか、30代前半なのにもう今更新卒のように一からやり直しますとは言いにくいとか、もう40になったから転職なんてできるわけがないとか、まぁ見事に年齢を言い訳にしていることが多い。そしてそれは君たちが言う老害化まっしぐらだということも気にもとめていない様子だ。特に年齢で制限をかける癖はこの国の特徴だと言われることが多いけれども、それは今もなお驚くほどしっかりと根づいているように見える。もちろんすべての人がそうではないことも知っているつもりだ。けれども、どうしてそんな呪縛を自らかけているのかが正直よくわからなかった。けれども、だんだん見えてきたのは、それはそうすることでおそらくはちょうどいいエクスキューズになって彼らにとっては都合がいいことなんだね。

制度の陳腐化

それもこれも、遡れば学校教育でさんざん人生のレールを叩き込まれたからだ。進学して就職して、一社を定年退職まで勤め上げることが美徳と教えられてきた。その際たる存在が先生という大人が見本となっている。一度先生になれば、急に芸術家になったり、音楽家になったり、お好み焼き屋さんになったりすることはほとんどない。せっかくの一度きりの人生、いろんな職業を体験しつつ人生の瞬間を楽しむということがタブーになってしまっている。おそらく親や学校にとっていい子とは、そういう突飛な人生を選択せず、決まりきったレールの上にしっかりと根付くことがより良き生涯だと理解して愚直に実践している子だね。コロコロ転職したり、住居を転々としたり、結婚もせずいつまでもプラプラしているような人間は、そういう規範からは外れた存在であるとレッテルを貼られてしまうわけだ。

ガラガラポン

ところが、そのだまし絵もそろそろ効力が切れつつある。さて困った。今後の社会の存続が危うくなるぐらいの少子化が加速してしまっている。それに対してどうしたらいいのか、という政策なり法案があまりにもピント外れなのも無理はない。なぜなら、それを考えている人たちがそれ以外のことをやったことも見てきたこともないからだね。そういう変化に滅法弱いのは仕方がないことでもある。だから間違いなく有効な手立てなんて考えつくわけもなく、結局はどこかの誰かに悪いことを吹き込まれた利権まみれの対策しか出てこない。でもそれはむしろ悪いことではなく、旧来の凝り固まった価値観が入れ替わる瞬間でもあるね。それこそ、国や社会が溶けてなくなり、これまでの既成概念が入れ替わる過渡期であるとも言える。もちろん過渡期にはいろんな摩擦が起こるわけだし、不都合なことも一気に噴出するだろう。ただ、それを真正面から受け止めることが一番大切なことでもあるね。手術をするには痛みと血が出る。その代わり新たな生命が芽吹くステップでもあるわけだからね。