富めるもの

日々

足し算

人は真っ裸で生まれてくる。そしてそこからいろんな物を手にして成長していくわけだ。その手にするものが多ければ多いほど、価値あるものが多いほど成功者だと言われる。足し算で評価されるものだから、人生が終わるまでずっと足し算を続けなければならない。そんな人生は冷静に見て、ずっと幸せのまま終えることなんてできっこない。更にいうと、物に溢れたときにほとんどの人が気がつく違和感がある。それは、広すぎる家だったり、使い切れない洋服だったり、履ききれない靴であったり、もはや人生のすべてをかけても体験できないままの量になってしまっているということ。その余剰が豊かさだと思いこんでいたけれども、実は真逆に言えば残酷な現実を突きつける悪魔だ。それほどまでに人生の儚さと短さを突きつけて、まるであなたをせせら笑っているようにも見えるようになる。

引き算

ほどほどという言葉あるように、富も財産でもなんでもそうだけれども、多すぎるともはや害になってしまうわけだ。でもその適量がわからない。だから余分に持っておいたほうが安心できると勘違いしてしまうね。そうやって、いつの間にか気がつけばあらゆるものに囲まれて、息もできない状態に陥ってしまうわけだ。けれども、それが富の象徴であり豊かさの証であると思わないとやってられなくなる。息苦しさや違和感こそが成功者の特権であり、それが新たな悩みであることそのものが贅沢だとすり替えるしかなくなるね。あなた一人がこの世界で生きていくのに必要なものなんて、ほんの少しで十分だし、一生かけても数回しか使えないそれらは、いずれゴミと化すわけだね。あるいは、高額で転売されてまた余計なものを持つ癖のあるオーナーのところに渡るわけだ。いずれにせよ、まさに悪魔の化身だと言っていいね。

所有という幻

俺のもの、誰かのもの、なんていう言葉が刻まれているわけでもないものを、あなたのものだと主張するには常それを誇示しなければならないね。法律的にも役所の手続き的にも、ずっと叫ぶわけにはいかないから契約書などの類の書類が必要なものそのせいだね。とにかく所有なんていうのはそもそも自然界には存在しない。だから無理やり誰のものでもないものをあなたのものにするために面倒な手続きだらけになるわけだ。そしてせっかく宝探しのようにあなたのもとに首尾よく集められたとしても、それを集められたということぐらいしか残らない。豊かさとか財産とか富の正体とは、そのものではなくそれができたという経験に過ぎない。であれば、特に高額なものを集めるようなことをしなくても、いつでもどこでも誰でもがそれがわかった瞬間に、一瞬にして富者になることができるね。そう、あなたはそもそもまさに大富豪だったわけだ。