生命

日々

夢の本質

夢を持てない時代だと言われて久しい。けれどもそれは叶うとか叶わないとかそういう次元で語られている、いわば表層的なものに過ぎない。なら、夢の本質はなにか。それは、夢を語るその時間がこそが幸せの時間だということだ。どうせ叶わないのなら考えても無駄だという合理主義的な社会に洗脳されて、夢物語は取るに足らないことに成り下がってしまっている。けれども生きる本質はそうではないことを薄々感じているだろう。もっといえば生きているという自覚そのものがまさに夢物語であって、合理的な何かは生きることとはかけ離れたものだ。それがわかればできるだけ多くの夢を抱きつづけることこそが、生きることそのものであることだと気づくだろう。そう、夢を語ることこそが生きているという本質なんだ。

ワクワク

心躍るワクワク感の正体はなにか。一節にによればそれは性的興奮と同じだと言われている。性欲はみっともないことの代表選手といまや決めつけられているけれども、生命の維持にとってはそれほど卑しいものではない。むしろそれを失ったことでやがて人類という生物は確実に絶滅の道をすでに歩み始めている。いやらしいものだと卑下することが多い現代社会で、ますます生殖活動に制限がかかる傾向にあるようだ。けれども、その卑しさはあなたが生み出した幻想であって、他の生物の活動を見ればわかるように、もはや人類は本来の動物としての生命活動が困難な状態になっている。もちろん、他人の権利や尊厳を尊重できる知性を兼ね備えているのも人類の特色ではある。しかしながらその特色ばかりにフォーカスしてしまうと、本来の生命は消えてなくなってしまうね。

バトンタッチ

頭でっかちになりすぎた文化的に高尚な動物としての人類像が理想になればなるほど、人口が減少していくのは仕方がないことだ。そこに自己矛盾が含まれていることなんて、どうやら知性が高い人々でも気がついていないようだね。なんでもかんでもタブーにしてしまうと、あなたがこの世にいる意味すら失ってしまうことに気がつくことができない。高尚なまま破滅の道を確実に歩むことになるわけだね。まさに地獄への道は善意で舗装されているということになる。よかれとおもうことばかりで世の中を埋め尽くすと、本末転倒になってしまうね。邪な考えは全否定され、下心をいただくことは悪魔の所業となる。そうやって、いきいきとした生命がやがて途絶えるのならば、それも自然選択の一つとも言えるかもしれないね。知性の本質が人口コントロールに向かってしまうとすれば、それこそ生命に対する冒涜であると言っていいかもしれないね。