愛に溺れる
愛の世界
愛に満ち溢れた世界にあなたはいる。でもそう言われたところで、海の中にいる魚たちのように、自分の世界の外側があるなんて確かめようにも為す術もない。そこがそうであるということを認識するには、それ以外の場所があることが必須なわけだ。赤色を確かめるには赤色以外があることを知らないと無理なのと同じだね。赤色の世界にどっぷりと浸かっているあなたは、それを確かめるためには一旦そこから離れる必要がある。それが自他分離の根本的な本質でもある。要するに愛の世界を確かめるために、一旦愛のない世界から眺めてみないとそれがそうだということすらわからないからね。
他人の意義
だからより自我を発生させて、私は私という存在をより強固にすればするほど、愛の世界の境界をくっきりはっきりさせることができる。真っ白の光の世界ではすべてが真っ白でどれがどうかという区別がないようにね。だからこそあなたは自ら他人や外側を生み出している。本来はそんなもの必要もないのだけれども、愛を確かめるためにわざわざ創作しているわけだ。ということは、他者やあなたとは関係ないと思っていた外側は、すべてあなたが生み出した幻の世界であり、架空の世界であることは間違いないね。もちろん、そんなことすら自覚がないがゆえに、そんな言葉遊び的なことを誰かに言われたとしても気にもかけないことが多いだろう。でもそれもまた仕方がないことでもあるわけだ。
紅白戦
もっと卑近な例で言えば、運動会などの紅白戦と同じということだ。それまで紅組でも白組でもなかったはずなのに、急にその場だけあなたは紅組になり、あなたの仲間は白組と任命されるね。で、さらにそのことによって対抗させたりして競い合うわけだ。紅組、白組という今まではなんにもなかった唯一の世界を認識するには、分断化された世界を生み出さないとならない。そうやって人生を楽しんでいるわけだ。だから他者を生み出すとかが良いとか悪いとかそういうレベルの話ではないね。常にこの世界が愛で満ち溢れていることを噛みしめるための、いわば幸せな手続きでもあるんだよ。それを確かめつつ、なんてあなたがそこいることがラッキーなんだと思うことこそが、ずっとこれまで切望してきたことそのものじゃないかな。