科学と祈り

色々

理屈だけで考える

すべての物事にはまず最初にそうなった原因があると考えるのが普通なのかな。だから原因を探してそれをどうにかすると結果が変わると信じている。それが現代の科学という方式だよね。原因を取り除けば結果は生まれない。こういうのを因果関係と呼ぶんだね。例えば病気にかかると、それには原因が必ずあって、それをなくしてしまえば大丈夫だと。で、簡単にわかる原因が見つかると科学の本領発揮。すぐに対策ができる。けれど、原因を探してもちょっとどうだろう、よくわからない。そういうときにはたくさんの仮説をたてて一つずつ検証するわけだね。それで結果を観察して一番有力な原因であろうというところを突き止めていく。これを研究や考察というんだね。え、そんなの知ってるって?

原因一つに結果一つ

一つの原因で一つの結果が出るならば、それは簡単に因果関係として見つけられる。地球上で高いところから手を放せば、地面に向かってモノは落ちるとかね。観察できるわかりやすい結果はこれでいいのかもね。でも、原因が複雑でどうも一筋縄ではいかない場合は、結果も安定して出るわけではなくて、ちょっとしたゆらぎが出たりする。そうするとかなり特定が難しくなる。実際には原因は一つではないことが多いよね。

ベールを一枚ずつ剥がす

そこで必死になってさらに仮説をたてて、複雑に見えることもできるだけわかりやすくモデル化するの。モデル化っていうのは色々と複雑にする要因をとりあえず一つ一つ省いていって、一番シンプルな骨組みを抽出するってことね。シンプルに抽出したものを「原理」とか呼ぶときもあるね。原理とか真理はとにかく一つの原因で一つの結果が出るはずと信じている。簡単にいえばそれが科学の真髄でもあるのね。現代社会の複雑怪奇な問題に対して、複雑に見せる要因をとっていくと、きっとシンプルな因果関係がきっと見つかるっていう考えでどうにかこうにか発展してきたわけだね。

原因をつきとめても

現代の科学ではそういった研究の蓄積があるから原因は比較的はやくわかったりする。けれども実際の対策に関しては、せっかくシンプルに抽出したんだけれども、人類や社会に適応する際にいろんな邪魔が入って相当複雑な世界に戻ってしまう。だから原因はこれだとわかったところで、じゃぁそれを解決してしまえばみんな幸せというわけにはなかなかいかないみたい。科学は原因の仕組みを探すのにはとっても有効な方法だけれど、だからといって複雑な世の中においてズバッと解決するという対処はまだまだみたいね。はがしていったベールをまた元通りにしても有効かどうか。最後の最後はやってみないとわからない。これを実験っていうんだ。え、それも知ってるって?

すぐに解決してよってみんなが待っている。すぐに解決できればそもそも問題なんて起こらないよと科学は言う。科学は人類に未来を見せてくれる魅力あふれるツールだけど、今でもちょっと時間がかかりそう。そんなときはのんびりお茶でも飲んで待つしかないよ。そんなにキリキリしてもしかたがないよ。はやくよくなるといいなって、お祈りでもしときましょうね。もしかしたらそれで解決するかもよ。そんなことないって?なにはともあれ、最後の最後にはやってみないとわからないんじゃない?