あなたが見たい方でいい
攻めと守り
権利を主張すると義務が伴う。自由を主張すると責任が問われる。そうやって前向きと後ろ向きが同時に発生するのが認識しているこの世の仕組みだね。あなたがそれを見ていると同時に見られているそれが発生するし、あなたが全く知らないものは、あなたにはどう頑張っても見えない。得体のしれないものがあるじゃないかというけれども、それも得たいのしれないなにかということをきちんと認識できているから見える。初めて飛行機を間近でみた時、こんな巨大な金属の塊が空を飛ぶなんてにわかに信じがたい経験はあるだろうか。もちろん、それまでに飛んでいる様子も、空港に行ったことも、乗ったこともあるから、きちんと飛べることを知っているね。でも改めて近くでまじまじと見ればみるほど、やっぱりどこか不思議な感じが蘇ってくることがあるだろう。そう、それがあなたの理解を超える少し手前の状態だね。
平然
あなたが切り取って区別することができることは見える。でも教科書では習って知っているはいるけれども、空気の分子は見えないし、流行病のウィルスも見えない。知っているけれども見えないね。でも、とても小さくて肉眼では見えないことを知っているから特に心配したりしない。でも、もしそれが見えるようになったらあなたの世界はガラリと変わることは間違いない。より鮮明に隙間も空間もなくなり、見えすぎるがあまりに物事の認識すら混乱するかもしれないし、平然としているかもしれない。それはそうなってみないことにはわからない。わからないという本質は、あなたの頭の中で区別がつかず連続しているということだ。天然色に見えているこの世界が、急におどろおどろしい色に変わることを認識するにも、その両方の対比が必要であるがゆえに、どちらも同時に存在して初めてそれがわかる。片方だけのときは、あなたは平然としているはずだからね。
見たい方へ
なら、常に怖がって不安で不快な毎日を見続けている理由はなんだろう。あなたがそれを認識すると同時に真逆の安心で幸せで快適な毎日も同時に存在しているはずだからね。そう、区別することができるものは同時に出現しているし、そのどちらかをあなたは選んで見ることができるものだ。好きな方を選べば良いだけなのに、おそらくあなたはあなたが喜ぶ世界を見てはいけないと思いこんでいる。なんだかつまらない毎日だと思った瞬間に、それでも平和で幸せという瞬間も同時に生まれる。あなたはそれを同時に見て区別できるわけだから、できれば見たい方を見ればいいだけだね。好きな人とうまく行かないと悩むのもいいけれども、もしかしてもっと好きになれる人が現れるかもしれないとワクワクしてもいい。思わぬ出費がどんどんかさんでついてないと思った瞬間に、それでもお金が足りてよかったも同時に生まれているはずだ。それがあなたがこの世を生み出していると言われている原理だね。