あなたの意識

日々

意識

あなたが起きて活動しているこの世というものは、あなたの意識下にすべてがある。だから科学的なエビデンスであろうが、オカルト的な心霊現象であろうが、あなたの意識下ですべてが起こっていることになるね。無意識の下で起こっていることは、あなたにとってはないものと同然の扱いになってしまうのは仕方がない。だから、あなたがはっきりと認識している時点であなたの意識が顕在化しているときに限定されるわけだ。そう、科学的なことも非科学的な不思議なことも、あなたの中にすべてそれらがあるわけで、それ以外は存在し得ないとなるね。もちろん自我を超えた何者でもないあなたがいるかもしれないけれども、残念ながらそれを確かめる術はあなたがいる限りないわけだね。あなたが何を信じるのかも、あなたが何をルーツにするのかも、すべてはあなたがいるときに限ったものであり、無意識下の余白のほうが実は大きいとしてもそれらをベースとしながらもやっぱりそれしかない。

あなたが見る夢

昨夜みた夢が、今眼の前で似たようなことが起こっている。ほとんどの場合は、夢すらも覚えていないから気がつかない。ところがたまたま覚えているときに限って、どこかで見たような光景だと認識できるわけだ。それには理由があるのかないのかもわからないし確かめようもないね。ところがたまにそういうことが起こるので、何らかの関係があるのかなとふと思ったりする。でもそれもつかの間のことで、それすらもすぐに忘れてしまうね。そうやって現実と夢との間をいったりきたりしている。あなたの意識の正体はどうやっても掴みようがないけれども、そういう体験を通じて、なんだか科学的なエビデンスで証明されるもの以外にもなにかあるのではないかと思っているわけだ。それで、神様や仏様や先祖や精霊たちはそういう体験を通じてあなたの意識下にぼんやりと現れることがあるわけだ。

確証

そんな朧げで掴みどころのないものを信じるなんて馬鹿げている。それよりも手にする感触なり、体験を拠り所にすべきだと言うのが多くの人が思っている。もちろんそれがあなたの意識そのものであるから、それらを受け入れることに何ら問題はない。むしろ夢物語ばかりを信じたところで、あなたが知覚するそれはあまりにもかけ離れていて違和感があるのならば、やめたておいたほうが自然だね。ここで言う自然とはあなたがすんなりと腑に落ちることを指す。納得しないままずっと過ごすのも、それほど楽ではないだろうからね。でも、何を信じるかということもあなたが決めればいいし、それ以外があると知ったところでそれを導入するのしないもあなたが決めたらいいだけのことだ。そう、すべてはあなたがもとになっているのには間違いない。その両方がいつもある不思議もあなたそのものでもあるのだからね。全く好きにすればいいだけのことだね。ところでいつまでも腑に落ちない深い謎として残るのは、あなたは一体どこから来てどこに行くのだろうということ。実はあなたそのものがもともと不思議なものの正体だったわけだ。