突拍子もないのが夢

日々

根拠

エビデンスや根拠というのは、すべて既知のものでしかない。もちろん先人たちが検証を繰り返して、どうやらこれが根拠でありエビデンスであると証明してくれたものだ。けれども、それはすでにそれを知った瞬間にあなたの記憶に刻まれてしまう。そしてその記憶というのは今ではなく過去のものとなってしまうね。そうやってエビデンスを確認しながらも、研究者や科学者はまだ見ぬ夢をまた再設定して、未だ誰も知らないことに向かって再び邁進するわけだ。夢は過去の記憶から生まれるものではなく、未だ誰も確かめたこともないようなでっかい夢であるべきだね。何を根拠にそんなことを言うのだと言われるのが本物の夢であり、そんなことできっこないとい批判されることが唯一の誇りとなる。夢の価値は誰もが知らないことであるからね。

乖離

現実に即したなにかだと、すぐに根拠が見つかってしまう。夢物語ばかり追ってないで、もっと現実的になりなさいとドリームキラーがあなたに囁きかける。でもそれは夢ではなく既知の過去の記憶の寄せ集めでしかない。現実とは昨日までのあなたそのものでしかなく、それを重要視してしまうとまさに夢も希望もない現実社会に引き戻されてしまうね。夢は現実離れしている必要があるし、それの根拠なんてないのが当然だ。根拠のないことが必須なのが夢だって、それにもしかして実現できるかもしれないと判断している段階で、それを夢と呼ぶには無理があるね。現実は根拠からくる連続面でしかないし、どうにかすれば実現可能であることをあらゆる人が納得できることに矮小化してしまっている。現実離れの度合いが大きければ大きいほど、夢として成立するわけだからね。

冒険

冒険家はいつもそんな無茶なことと世間から揶揄される存在だ。逆に言えば、なるほどそれはもしかして達成できるかもしれない、なんて言われてしまうと冒険でもなんでもない。単なる既存の根拠とエビデンスをかけあわせたアレンジに過ぎなくなってしまう。夢が持てない世界は、現実という過去に縛られて動けない世界だ。だからこそ夢を見ることを取り戻すことがあなたが生きる意味を知るチャンスが生まれるわけだ。あなたは決して過去の積み重ねで生きているわけではなく、夢を見る能力を発揮するために今がある。だから、どれだけ根拠なく、世間から揶揄されるかということが、実はそのバロメーターとなるわけだ。皆がなるほどそれは納得だと言われて安心している人生を過ごすために想像力を使ってはもったいないね。あなたがなんの自信も根拠もなくあらゆる世界を創造できる力が備わっている意味を感じてみよう。それが腑に落ちた瞬間に、ほら人生がいきいきして面白くなってきただろう。それが本当のあなたなんだよ。