そこにいるだけ
最終目的地
あなたはこの世に気がついたら生を受けて存在している。そして、その瞬間のことは特殊な能力がない限りほとんどの人は覚えてはいないだろう。そして、十分にこの世を堪能してやがて例外なく誰もが死を迎えるのだけれども、そのときも気がついたらそうなっていたということになるだろうね。もちろん死後の世界があるかもしれない。けれども、今のところ生まれてきたことの記憶がないことを鑑みるに、死後も同じだろうと推測するしかない。遠くから見ればあなたが生まれたけれども消えてしまうというサイクルは、元通りにもどっただけであり、何も増減はないね。しかし現代社会では死ぬことは良くないことであり、できるだけ長生きすることが求められている。安楽死なんてとんでもないことだし、意識がなくなろうとも、好きなことができないままであろうとも、生命活動という生物学的な呼吸と鼓動がある限り、それを止めることもままならない。
バスツアー
そう、あなたは人生という冒険の旅に出ているツアーバスに乗り込んでいる状態だ。そこで繰り広げられる色々な出来事に一喜一憂しながらもツアーバスは快調に目的地へ向かっている。もちろん気がついたらそのバスツアーに参加していたわけだけれども、そのバスは確実に目的地へ向かって走っているには違いない。しかしながらその最終目的地を見ることができるかどうかは誰にもわからない。そんな状態だと理解できれば、もうそのバスに目的地は任せて、あなたはその車内で楽しむしかないだろう。そこでジタバタしても、途中下車しようとしても無理なのであればね。メメント・モリを理解することで、あなたはかえってキラキラと生きる楽しみを見つけることができるというのはそういうことだね。そんなバスツアーは嫌だと嘆いたところで、すでにそこに乗っているからこその今がある。逆に言えばそのバスにすら乗れなければあなたはそもそもどこにもいないわけだからね。
完璧主義
しばらくはそのままバスに揺られて乗り続けるしかないのならば、それほど真面目に完璧になんでもやれなくてもいいね。思い通りにならない時間もあるし、うまくいく時間もある。例外なく目的地にはたどり着くのだから、適当に過ごしても何ら問題はないんだよ。それを完璧なプランでないといけないと思うからつらくなる。やりたくないのならやらなくていいし、逃げたくなったら逃げたらいい。先延ばしにしてもいいし、怠けることも大切なことだ。それもこれもすべてはあなたのものであり、どれもこれも二度と味わうことが出来ない、ある意味かけがえのないものだね。そもそもあなたがそこにいる事自体ですでに奇跡なんだから、それ以上のなにかはすべてオプションでしかない。人から好かれようとしてもいいし、嫌われても仕方がない。やりたいことが見つからなくてもいいし、見つけて夢中になるのもいい。そんなものは実は取るに足らないことでしかない。ただそこにいるだけでいいのはそういう意味なんだ。