夢の続き
幸せになる方法
だれもが幸せになる方法を探しているね。ご利益がある神社があればなんとかお参りに行く算段をし、どこかにパワースポットがあると聞けば、そこに行きさえすれば人生の流れが変わると夢見ている。今日の占いを見て一喜一憂して、風水で黄色が効果があると聞けば、持ち物をすべて黄色に揃え直したりする。そうやって、幸せになりたいと切実に願っている。そうやってあれこれジタバタしている間に、何が効果があったかどうかはわからないけれども、一瞬幸運だというしかないことが一つだけ起こったりする。それでますます何かをやらないと幸せになれないし、ましてやその状態をできるだけ長い間保つためには、これまでやってきたおまじないを欠かさずすべてをやらないといけないと思い込んでしまう。そうなってしまえば、もはや幸せとはなにかという本質からどんどん離れてしまって、もはや幸せかどうかよりも確実にそれらをもれなくやり続けているかどうかに意識が集中してしまうね。はてさて、あなたはそれを求めていたんだろうか。
方法論
すべてが方法論で、幸せになるために遂行しなければならないルーティンワークとなる。そこではたと気がつくわけだ。幸せになりたいと思っているあなたは、今は幸せではないという前提条件を強いていることをね。誰も今あなたは幸せだよ、と言ってはくれない。だから、今は幸せではないと信じて疑わない。もっとひどくなれば、生まれてこの方幸せになったことなんてないと思ってしまう。だから幸せになるための方法論ばかり気になって仕方がないわけだ。幸せでないからそれらのおまじないは成立するわけで、今あなたは幸せの絶頂にいるよ、と誰かが教えてくれたらそこから脱却できるはずだ。ところが、もはや方法論ばかりを追い求めてきたあなたにとっては、にわかに信じがたい言葉となっているね。シンプルに言えば、幸せだからこそいろんな方法を探す余裕があるわけだ。本当に不幸だとそれすらも探すことができないはずだからね。
不幸の前提
だから誰でも今すぐ幸せになれると説くのは、それをやめるだけでいいということだね。幸せになりたいという今が全く幸せではないという前提を取り除くというとても単純で簡単なことだ。いやいや、まさかこれほど辛い境遇で幸せなんて言えるわけがないとあなたは反論するだろう。でも、実はそこにも落とし穴があって、ならどうしてあなたは辛い境遇だということを認識できたのかということ。ずっと真っ暗闇に暮らす生き物は光を知ることはできないね。ずっと海の中で暮らす魚たちは、まさかこの世にそれ以外の世界があることを知る由もない。そう、あなたは今ついてないことばかりだとか、辛いことばかりだとか嘆くことができるのは、それ以外を知っているからだね。ほら、やっぱりあなたは光に包まれていることを知っている。たとえ目の前のことがたまたま失敗に終わったところで、それはその続きがあるということも実は気がついているはずだ。行き止まりではなく続きがあるということ自体はとてつもなく幸せなことなんじゃないかな。