好き勝手にすればいい
見ている世界
あなたにはすべてが見える。けれどもあなたそのものは実はよくわからないね。自分のことは自分が一番よく知っていると思っているけれども、ならきちんと言語化してみようとすればするほどよくわからなくなってくる。不思議なことに、あなたの既知の前提がすべてかくのごとく脆くも儚いということに直面するわけだ。そこであなたはなんとなく気づくことがある。この世はすべて幻想ではないかとね。何らかの大きなエネルギーのうねりの歪にあなたがほんの一瞬だけ現れているだけかもしれない。だからこそ絶対的な存在であるあなたでさえ、突き詰めて見ると掴みどころのない存在でしかないことに気づくわけだ。あなたの存在が基準となってこの世の全ては構成されてきたはずなのに、実はその基準すら危ういとはもう何にすがって生きていけば良いのかわからなくなる。
見えない世界
なら、見えないからよくわからないけれども、その大きなうねりというか流れの中にぽつんと咲いた徒花のようなあなたの人生は一体なんだろう。見えないことでほとんどができているとすれば、あなたは何が見えるのだろう。確かに昨日も今日もあなたはそこに居たわけだ。けれどもそれも危ういとなると、あなたは一体この世のなんだというのか。そんな深遠な闇に触れたような気分になるかもしれない。けれどもそんなに心配しなくても大丈夫だね。あなたは今そこでしっかりと居るし、それを感じ取れているはずだ。ただ、大きな視点で見つめ直すとよくわからなくなってしまうだけで、そんな視点からあなたの近くに移動させれば、紛れもないいきいきとしたあなたがそこに見えるはずだからね。それが真実であり、それ以外は何もないと断言しても良いんだよ。
全力疾走
だから、今ここであなたは全力疾走すればいいだけなんだ。遠慮も手加減も必要もなく、あなたが今ここで出来得る限りをやり尽くせばいいね。それがあなたの正体であり、あなたのエネルギーのうねりそのものだからね。あなたは実体があるとかないとか、見えるとか見えないとかそんなものばかりに惑わされっぱなしかもしれない。けれども、それを超えた今ここにあなたが生じているわけだから、全く持って自由を満喫して好きなようにすきだけやることがあなたのエネルギーなんだ。そう、あなたはだからこそ生命そのものだし、あなたはかけがえのない刹那を感じ取れているね。だから何も心配することもなく、不安に思う必要も全くない。あなたが思い描いた人生を好きなだけ堪能するためだけに今そこに居るのだからね。好きなことを全力でやることそのものが実はあなたの正体なんだ。