すべてが見えるとき

日々

静寂

静寂が広がっている。それは何もないともいえるし、それがあるともいえるね。静寂とは無音であり、見た目も何も変化がないけれども、そこにない何かが確固たる重みでそこにある。それは自然のエネルギーとも表現できるし、荘厳な佇まいが目の前に広がっている。何もないとするのか、荘厳な風景がそこにあるというのか、それはあなたのとらえ方一つで大きく変わる。でもなぜか静かな世界で、あなたをしっかりとそこから感じ取っている。それは、それ自体があなたそのものであり、まぎれもない存在をしっかりとつかんでいるからだね。そんな時、静寂を打ち破るかのように強い風が吹き、景色が揺らぐ。けれども風がやめばまた何事もなかったかのように、元の静寂が広がるわけだ。

在るか無いか

そう、あなたはあなたが見えるもので、激しく変化するものだけに心を動かされる癖があるね。そして変わらないけれどもずっとそこにあるものには無頓着だ。変わらずそこにどんと広がっている世界は、あなたにとっては取るに足らないものであり、何も変わらないがゆえに無視してしまっている。動き回り変化があるものだけをあなたの世界だと勘違いして、それをどうやって手に入れるかだけにいつも心悩ませている。ところが、実のところその基底となる変わらぬもののほうがあなたの世界のほとんどを占めている。変わらぬそれらは決してないのではなく、ないということがあるわけだね。多くはそれらに支えられているのが真実だ。

心を込めて

だから、ほとんどあなたが気にも留めないそれらに心を込めてみよう。そうするとその静寂に変化が訪れるはずだ。だからといって青い世界が赤くなるような劇的な変化は起こらない。それでもあなたは世界が変わったことを実感できるはずだ。スナップショットでそれを写真で撮ったところで以前と何一つ変わり映えしないかもしれない。ただ、あなたは同じ写真を見たとしても感じるところが全く違っているだろう。あなたは変わらぬ静寂にこれまでもずっと包まれていたわけだし、おそらくこれからも変わらないことに気づいたからだね。要するにあなたの視点が移動したからこそ、がらりとあなたの世界の本質がより鮮明になったということだね。