創造主

日々

意識

あなたはいつも見えるものだけを頼りに生きているね。見えない何かを感じつつも、やっぱりいちばんの基準は見えるものになってしまっている。もちろん、魂とか精神とかそもそも意識とか見えないからよくわからないものを感じつつも、現代社会は現実という見えるものだけを中心にすることを余儀なくされてしまう。ところが、あなたが見えている現実という映像も、実はあなたがどう見るかによって決まってしまうある意味幻想であって、本当のところはよくわからないね。五感を通じて感じられるすべてを基として、見えない世界はとりあえず捨象するしかない状況にある。だから、あなたはいつもあなたが見たいものを見て、それで起こる現象で右往左往している。見たいものを見ていると言われたところで、いやいや、そんなに良い世界ではないのはどうしてなんだといつも不満がそこにあるね。

満足

だから充足することや幸せは、見えるものでないと納得がいかないのも無理はないね。見えない世界で仮に充足したところで、ある日突然大金持ちになるわけでもなく、有名人になってチヤホヤされることもない。夢の世界では散々それらの幻想を見てきたけれども、目覚めればやっぱりいつものあなたの世界しかそこには見えないからね。だからやっぱり物欲や所有欲が中心となってしまうのは仕方がないというのはその通りかもしれない。その一方で、同じ現象を見ていたとしても、あなたの見えない意識の捉え方一つで、最悪な状況になったり、それほど悪くもない状況になったりする。科学的にはそれは解釈問題としてずっと議論されているのだけれども、観察者のあなたがそこにいるだけで、現象そのものがまるで異なるものになってしまうという、不思議なこともずっとあるわけだ。

創造する力

それほど見える世界に依存しつつも、あなたには夢や希望を創造する力が備わっている。でも、それを現実社会とすり合わせるには途方もない努力と苦労が必要だと感じている。思ったように見える世界であるならば、どうしてそれが叶わないのかと嘆いたりもしている。夢はあくまでも妄想であって、現実世界を創造するには程遠いぐらいの力しか持っていないと思ってしまうね。でもあなたが見ているそこの他人さえ、あなたが生み出したものであることには間違いないとも言える。なぜなら、あなたが彼らをどう見るかによって、全くそこに存在しないようにもできてしまうからだ。今日一日を振り返ってみても、あなたは数多くの人と交わり通り過ぎたはずだけれども、思い出せる人数はほんの僅かでしかない。確実にそこにいた人さえ消しされる力があるとすれば、やっぱりあなたはあなたの世界を生み出している責任者であることは間違いないとも言っていいだろうね。