気にしないで楽しむ
楽しむこと
どれだけ今がいまいちであっても、あなたがもしその中で楽しむことができるとすれば最強だとも言えるね。それはすなわち境遇のせいとか誰かのせいとかに転嫁することなく、あなたが今楽しめることを見つけることができるという能力に優れているからだ。そしてそれは誰しもすでに持っていて、本来の力として備わっている。でもわざわざその力を封印して不幸だと嘆いているのも、実はその能力の賜物でもあるんだ。あなたは今すぐ楽しむこともできるし、楽しむことを一旦やめて不幸の主人公にもなれるという、まさに変幻自在にあなた自身を演出することができるわけだ。だから、別に今を憂いで嘆き悲しむのも別にいい。でもそれに疲れたら真逆の自分を演出してもいい。大きく捉えればあなたはある意味今をそうやってコントロールしているとも言えるわけだ。だからいろんな状態の中で、なんだかんだですべてを楽しんでいるとも言っていいだろう。
不遇の真実
とはいっても、そんなことすぐさま納得して受け入れがたい状況にあると言う人もいるだろう。突然病気になってしまったり、愛する人と別れたり、いつまでも若さを保てなかったり、ずっと生きていられないことを悟ったりする。仏教ではこれを四苦八苦と言うのは知っているだろう。生きているということは、その反対側にそういう影を同時に抱えていることであり、それは生きている以上避けようのない真実だからだね。だからこそそこに生きる喜びが生まれるわけだし、それが嫌ならすべてが無になってしまう。生きているからこそ、それらを右手で持ちつつも左手で楽しいことをする能力が同時に備わっているのはそのせいだ。そのコントラストが強くなればなるほど、輝きと影は増大するわけだけれども、その量を調整することがあなたにはできるはずだ。不遇というのは一瞬の状況であって、それすらもずっと続くことができないのも同じ理由だね。光と影は同時でないと存在できず、すなわち影がずっとそこに居続けることは不可能だろう。
最強の魔法
だから、あなたは「気にしない」という最強の魔法が使えるわけだ。いやいや気にしないように頑張っているけれども、そうすればするほどますます気になって仕方がないだろう。それはとっても気にしているように仕向けているからそれはそうだね。嫌いな人を気にしないように、嫌なことを気にしないように、辛いことを気にしないようにすればするほど逆の結果に陥ってしまうのは自明のことだ。そうではなく、あなたがそうこうしている間にも実はあなたにとっては気にもとめないことが大量に起こっている。でもあなたは今のことに夢中になって、それこそ全く気にしていない。だからあなたにとってはそれら多くのことはなかったことになっている。そう、だからあなたには本来、どんなに辛いことがあろうとも、ほんとうの意味で気にしないことができれば、この世からそれらをきれいさっぱり消え去ってしまうことができる魔法が使えることは間違いないね。そうしてあなたは見たいものだけを見ているわけだから、気にしないことが難しいならそこに楽しみを見つけてみればいいわけだね。