不幸自慢
切なさ
そのなんとも言えない切なさが人生そのものなんだよ。だからいつも楽しく過ごすためにも、その切なさは必須なんだ。もちろんあなたはずっとハッピーで楽しい人生を送ることをずっと願ってやまないわけだけれども、それはその切なさとか悲哀があってのことなんだ。だから、切ないとき、悲しいとき、辛いときも、実は幸せで楽しい人生のために必要な工程の一つなんだよ。だからこそ人生にダイナミクスを感じられるわけだ。仮にずっと悲しかったり、ずっとハッピーだったりする人生は、じきに飽きてしまうに違いない。変化がなく単調な繰り返しは、たとえそれが幸せの真っ只中であっても、あなたはそれを良しとしないね。ときにとっても辛いことや、予測不能な出来事があって、嘆き悲しみながらもそれをやり過ごしたあとの安堵を感じたときに、あなたは生きていると実感できるわけだからね。
まるごと人生
そう、楽しいばかりでも飽きてしまうし、平凡な毎日だとつまらないし、辛いばかりだと苦しいわけだ。それをいい塩梅でまさに調整してくれるとありがたいと思っている。でもよく考えてみればそれがずっと叶っているんじゃないかな。もちろん、人が羨むような大成功は達成していないし、逆に人が同情してくれるような不幸もない。あなたが自身がそれを判定しているから、やや良くないことが多いと思い込んでいる。けれどもそれはかなり贔屓が入っていて、あなた以上に苦労や悲しみを背負っている人を前にしてあなたの苦労なんて語れるはずもないことも知っている。ただただ誰かにこの苦しみを分かち合いたくて、ちょっと呟いたりする。そしてほんの少しでいいから共感してくれる人がいれば、もはやあなたは百人力なわけだ。ということはかなり高次元でそれらがバランスして今があるということに他ならないね。
境界線
ということは、不幸自慢ができる時点でもはやそれ以上の幸せはないということだ。本当に苦しみの真っ只中にいるのなら、あなたはそれさえよくわからないだろう。真っ暗闇にいるのと同じなんだからね。そうではなくかすかでも向こう側に光が見えているから、そうなりたいと言えるわけだ。本当に真っ白だったり真っ暗だったら、もはやあなたすら分離できないわけだ。あなたがずっと望んでやまない幸せの真っ只中も実はそれと同じなわけだね。あなたは幸せを感じたいとずっと願っているからこそ、そこにそうではないものが散りばめられている。まさに今あなたはそれが叶っているとも言えるね。光を感じるためには影が必要なんだ。光しかない世界や影しかない世界は、それ以外を認識する手立てがないからね。だから今日も不幸自慢をしよう。それをするのをずっと願っていたわけだからそれでいいんだよ。