お互いさま

日々

そうじゃない世界

平和な世界が多くの人の希望であり、願いであることには間違いないね。でもよく考えてみれば平和な世界を願ってやまないのは、ずっと平和が実現できず、結局は平和じゃない世界がずっとあったからだ。悲しいことに何かを願う世界というのは、そうじゃない世界がないとできないことなんだ。もっと幸せになりたいのは、今が幸せではないと無理だし、もっとお金がほしいのも、今持っている分は足りないといけない。そして、それらはここで十分だという明確な基準があるわけではないから、どこまでいっても叶いましたというところがないわけだ。多くの人はそのことに気がつかないまま、もっともっとと願い続けている。だからこの世に生まれてこの方、もう十分です、ありがとうございます、という言葉を一度も言えないまま生涯を閉じることが約束されてしまっているわけだ。

幸せへの道のり

その十分だとされる基準がないが故に、相対的に決まるしかなく、それを他人と比べることしか方法がなくなってしまう。だから、上には上がいるわけで、例えば多くの人が羨むような億万長者であったとしても、当の本人は不安で仕方がないわけだね。一番はいつか一番でなくなる恐怖に怯え、何かをたくさん持っている者は、それが少しでも減ってしまうことが気になって仕方がない。あなたが願ってやまないそういった人になれたとしても、結局のところ何ももっていないあなたと同じか、むしろ持たざるがゆえに誰かに取られてしまうとか、減ったらどうしようなんていう心配が少ない分、あなたのほうが心健やかな時間が多いだろう。不思議なことにあなたの願いが叶っていると思われる人の方が、あなたよりより不幸だなんて笑い話にもほどがあるね。それでもあなたは一度きりでもいいから、やっぱりそうなってみたいと想い続けている。

残酷な夢と希望

現代社会では夢や希望を持つことが、良いことだと喧伝されている。すっかりそれにやられてしまったあなたは、逆に夢や希望がないことを恐れている。そして無理矢理でも夢や希望を持とうと必死になっている。その結果、誘導されるがままに、お金持ちになるとか、有名人になるとか、安定した暮らしができるだけの地位と財産を得たいと思わされてしまうわけだ。さらに巧妙に仕組まれていて、人に迷惑をかけないとか、人のためになることが徳を積むとか教えられているね。もちろん、わざわざ迷惑をかけなさいという意味ではないけれども、生きているという真髄はお互いさまだ。わずかな時間を共有するだけで、むしろ永遠に続くわけでもない。一瞬の瞬きに過ぎない人生において、思いやりとか迷惑とか自己責任なんて言うこと自体がおかしなことだよ。そういう罠には気をつけてね。