あなたが照らす

日々

救い

もはやこの世は救いようがないぐらいの絶望で満ち溢れている、なんて悲観することもあるだろう。けれども、絶望の淵の反対には希望があり、それらはいつも同居していてどちらか一方だけが存在することはできないわけだ。悲しいことに希望だけの世界があればいいのだけれども、それは存在することすらできない。希望だけと願っていても、必ずその裏側には絶望が生まれ、その逆もしかりだね。そうなると救いがない世界に思えるかもしれないけれども、実はそこが救いなんだよ。皮肉なことに、希望はそのまま希望であり続けると希望ではなくなるわけだし、絶望という友人がそばにいることで希望を持ち続けることができる。絶望は希望がないところでは決して存在することすらできず、したがって絶望の淵があるということは、希望の淵も必ずあるということの証明とも言えるね。

月の光

漆黒の闇の中で、光る月も同じだね。月の光は自らが輝いているわけではく、漆黒の反対側の太陽の光を反射している。光があれば必ず影ができ、影があるところには光がある。光が存在しなければすべてが闇の中だとあなたは言うかもしれないけれども、闇の中しかない世界ではそこが闇だとはわかる手立てがない。闇を知っているという段階で光を知っているわけだ。ということは月がそこにあるわけではなく、闇が月を浮かび上がらせているとも言える。いずれにせよ、それもこれもあなたが光そのものであるからこそ、闇と光を見分けることができることになる。なぜならあなたがもし闇であるならば、そもそもあなたは存在し得ない。希望という光は影の絶望を生み出すけれども、影の絶望しかない世界が本当に存在するのならば、光はそこには生まれない。反対に希望の光しかない世界がもし存在すれば、絶望の影は消えるのかといえば、あなたがそこにいる限り決して消えないのだからね。

天照

だからあなたは光であり、すべてを照らすエネルギーでもある。あなたが見たいものが見え、聞きたいことが聞こえ、感じたいことを感じることができる。右を向けば右の風景が広がり、左を向けば左がそこにある。上を向けば天を仰ぐことができ、下を見れば地を感じることができるわけだね。だから、あなたがこの世を支配しているとも言える。だからいろんな現象や出来事や命という表面的な見える世界の裏側を見ることができるはずだ。それらは同じエネルギーの流れでしかなく、それらをあなたの光であなたが見たいように映し出されている。なら、あなたがこの世をどう照らすのかを決めれば良いことだ。表面的な世界で一喜一憂するのではなく、それらはすべて繋がっているね。あらゆる流れがあなたが見たいように形作られているだけだとすれば、今すぐあなたが見たい世界に変えてしまえばいいだけだね。