幸福と科学

日々

リビングのテレビ

テレビはその名の通り、あなたの遠くで起こっていることをあなたの目の前で投影してくれる画期的な装置だ。テレビジョンが普及することで、国内のみならず世界で起こっている事件や出来事をあなたの目の前で映し出してくれる。これまではあなたは決してそれらを見られることはなかったことばかりだね。そこでインフラとして電気と電波が一気に普及したわけだ。いまやその電波はスマホにも応用されて、もはやそれなしの生活なんて想像できないし、よっぽどの理由がない限り手放すことも難しいだろうね。

ポケットにスマホ

高速インターネットが普及して、今までは小容量の文字が中心の通信の世界が、一気に豊かな映像コンテンツにあふれるようになった。今まではテレビジョンが担っていた映像を映し出すという機能が、インターネットで可能になった。それによって、あなたが普段から肌身離さず持っているスマホでも見られるようになった。欠点はテレビほど大きな画面ではないぐらいだね。更に忙しいあなたにとって重要なメリットは、非同期通信、すなわちこれまでのテレビでは放送時間に合わせて慌てて帰宅したりして、世界に出かける代わりにテレビの前には到着していないと見られなかったものが、あなたが都合の良い時間にいつでも視聴可能なことだ。あなたは膨大なコンテンツをいつでもどこでも好きなだけ楽しめる時代へと進化したわけだ。

SNSの苦しみ

それなのに、なぜかそれを大喜びしているというよりかは、むしろ悩み事の種になってしまっている。いつでも見られることであなたにとっては希少性は弱まってしまっただろうし、どこでも見られるのなら、何時までに家に帰りたいという動機も弱まってしまった。もはやシンプルであるけれども強力な動機づけが難しくなってしまったね。技術の発展が人類の豊かさをいつももたらしてきた。だからこそ、科学が一番信頼される学問になったわけだ。ところが実際は科学的発展の豊かさが飽和状態に突入してしまって、実は新たな不幸を増やしてしまったり、その専門性から悪用されつつある危機にある。もはや、科学的発展なしでは人類は生きながらえることができない状態になってしまったのと同時に、それによって破滅の危険も併せ持ったわけだね。まさに幸せと不幸せと同じ構造そのものだとも言えるね。