何を眺めているのか
依存症
なにかを頼りにしてそれ以外を認めることができないことを依存症と言うね。あなたはいつの間にかあなたが一番正しくて、それ以外を間違いだと決めつける癖がついている。逆に言えば、あなたは一番あなたが正しいはずで、それ以外のことを排除し続けていると言ってもいいかな。そういう依存によって何が起こるのかというと、あなたの世界をとっても狭苦しいものにしてしまうね。正解は一つでないとあなたが整理できないし、何でも正解なんだと言われると、一つの解を信じてやまないあなたにとっては都合が悪くなる。だから、あなたの正解を布教するために、あなたは日々誰かと言い合っているわけだ。ほら、この方がベストでしょう、といつもプレゼンをすることで、いわばあなたの信者を増やし続けようと必死だ。
あなたはどこにいる
そうやってあれこれと絡んでくるあなたは、一体この身体のどこにいるのだろう。実はあなたは、指一本動かすやり方を知らない。指が動いたのをみてからでしかわからない。もっと簡単に言えば、あなたを司る心臓の鼓動や、胃腸の蠕動運動なんかもそうだね。あなたはそれらを一切操ることなんでできない。フィジカルな肉体をコントロールしていると勘違いしているだけで、例えば初めて自転車に乗る練習をしたところで、乗れるかどうかはあなたが指示を出したところで、やっぱりうまくいかない。けれども身体が何度もコケながらも、しっかりと掴んで上手にバランスを取り、スムーズに乗れることを眺めているだけだね。そうやってできたことを、あなたは勝手に自分の手柄のように語っているに過ぎない。
努力
何か努力して獲得していくさまをずっと見せられているから、あなたはとにかく頑張ればなんとかなると思っている。ところがそれもあなたのそういった無意識の身体から大きく乖離した思考だね。自転車が乗れるのは、そもそも無意識下のバランスであり、思考で計算して調整していてはうまくいかない。それと同じで、あなたが何かを努力して苦労したということと、やりたいことができるのとは全く異なるね。できるかどうかは、もはやあなたがしゃしゃり出る幕はない。もはやあなたはあなたの身体が生み出す様々なドラマを傍で見ているだけしかできないわけだ。そうやって見てきたことをまるで自分の手柄のように誰かに語っている。もちろん、それで楽しめるのなら問題はない。けれども、それで誰かを貶めたり傷つけるのならやめておくことだ。そもそもあなたの話は単にあなたの身体をずっと見てきただけのことなんだからね。