意味がないがある
意味の正体
何をするにも、何を始めるにも、いつも求めているのは意味。意味があるとか意味がないとかあれこれと考えるね。でも意味があることってなんだろう。誰かの役に立つから意味があるとか、社会に貢献できるから意味があるとか、お金が儲かるから意味があるとか。意味を考える中心をどこに置くのかによって大きく変わったりする。だから決定的な意味を探すのはとても難しいね。自分にとって、誰かにとって、社会にとって、地球環境にとってなどと、見ている範囲をどこに置くのかでずいぶんと内容が違ってくるんだけれど、いつも誰かに意味を押し付けられているね。気がついたらいつの間にか、意味自体を疑ったりしなくなってしまう。ということは今そう思っている意味というのは、思考の拠り所になっているということだね。もし、最初から全てのものに意味があるとしたら、意味を求めたり考えたりするのも意味がなくなってしまう。そうなると意味を見つけられるか見つけられないかという問題でしかないね。
お値段以上の価値
はじめっからすべてのものが意味を持っているならば、意味があるとかないとかは不毛な議論になるし、はじめっからすべてのものが意味を持たないとしたら、それも同じになる。意味を見出しているのはあくまでもそのときそのときの思いでしかないね。まぁ、一旦とてもそれには意味があると決めたら、その次に価値が生まれる。仕事の価値、人生の価値、人間の価値。意味あることは価値もある。価値を測るには、価格と比例させると大抵はうまくいく。お値段が高いものは価値があると信じている。価値あるサービス、価値ある商品。それらに憧れて価値を高めようと必死にもがいているね。でも価値も、不変なものではなくて「所変われば品変わる」といったように、ある制限された範囲でのものでしかない。意味と同じで価値も未来永劫の「絶対値」ではどうもないみたい。有志以来、必要不可欠なものや珍しいからといっても、それほど価値があるとは言えないのもあったりする。価値とか価格も万能ではないみたい。
言葉の制限
すべてを測ることはできない単位であるならば、すべてに当てはめることはやめた方がいいね。ついついあらゆるものを意味や価値で考える癖がついてしまっているね。その方がわかりやすくて便利だからね。意味や価値を測るときにはその制限に注意しないとね。すべてを測るものさしは存在しないのだから。意味や価値に支配されると制限された狭い視野に苦しめられてしまうよ。言葉には制限があって、その制限が社会を生み出し思考を司っている。初めから制限されているという限界に気をつけてね。だから意味があるとかないとかというのも、そもそも意味がないのよ。言葉遊びが過ぎたかな。まま、お茶でもどうぞ。