両極のはざまに生きる

日々

白黒

あなたが好きな色はいつの間にかビビッドなものばかりになっているね。大転換の時代に極端なカラーを知らず知らずのうちに好むようになっている。それが証拠に淡い色だとなんだか物足りないと感じてしまう。結果にしても0か100で決着をつけないとモヤモヤしたままでいることになるし、86とか23とかには興味がなく大胆に四捨五入して0か100に変換してしまっているね。季節の移ろいもそれに準じてかどうかはわからないけれども、とても暑いとニュースになり、とても寒いと世間を騒がしている。春や秋のそのどちらでもないという風情を楽しむことをすっかり忘れて、すべては白黒はっきりさせてしまうモノサシであなた自身も常に評価され続けているからだ。良いとか悪いとかも決着をつけないと気がすまないし、幸せか不幸かもどっちつかずだとまるで何もそこにはないという判断になってしまっているね。

繰り返し

だから、ずっと同じことの繰り返しの日々だと、それが実は本当の幸せの中にいることすら不満に感じてしまう。それ故劇的な変化を求めてもがき続けているね。それが首尾よくうまく行ったら良いと思いこんでいる。ほんの少しだけ時間に遅れることは悪だから、あなたが思っていた瞬間にそれが叶わないと失敗だと嘆き悲しんでいる。実のところ少し遅れて想定していた結果が訪れたとしてもだ。すべてはインスタントに変化しないとすべては無意味だといつの間にか思い込んでいる。でもあなたがそう思って一所懸命に何かをやっている瞬間に物事は大きく動いているというのにね。変化や結果がすぐにあなたにとってわかりやすい動きがないと、これではダメだとすぐに烙印を押している。そんなインスタントでダイナミックな波ばかりを求め続けているのは、一体いつからだろうね。

足るを知る

暑くも寒くもない瞬間が実は一番心地よい季節だし、良いとか悪いとかの呪縛から開放されているときが、一番の幸せな時間であることは間違いない。お金持ちでもなく貧乏でもなく、そこそこの暮らしを楽しむことを侘び寂びといったりもする。すでにあなたが持っているものを有効活用できているときは、あなたが一番輝いているに違いないし、光と影がぼんやりする黄昏時にあなたは人生を全身で受け止めている。そういった中庸こそがあなたがあなたを生きているほんの僅かなひとときでもあるね。現代社会は急激に変化する何かばかりに注目して、それ以外は取るに足りないことだととても偏った価値観に支配されてしまっている。それを知ってか知らずか季節の変化までもがなぜか極端になりつつあるようだね。白黒はっきりすることをもう少し緩やかにすれば、0か100の世界から脱することができる。それも今この瞬間にね。そうすると必ず両極の間をすぐに感じ取れるはずだし、そこがあなたがずっと求めていた場所だと気がつくはずだ。