真のパワー

日々

強者の理論

いつかは弱々しいあなたから、強いあなたへ変わろうと努力しているね。強さとは、地位であったり名誉であったり、財産であったりすると思い込んでいる。だからそれらを手にするために、なにか一つでも人と比べて自慢できるものを得ようとそれこそ日々苦しみながらも格闘しているわけだ。でもそれらの本質は比べてどうであるとか、競争して誰が一番かという部分にはないね。強さとは弱さの前提で成り立っているわけだし、競争して一番を目指すのも競争する相手がいないと成立しない。すなわち、一番はあなたの本質ではなく、周りから支えられての一番でしかない。もっと言えばそれをそういうふうに譲ってくれる人がいるという証拠でもある。どちらが本当の強者なのか、それは本当のところあなたはすでに知っているはずだろう。

ぶつける相手

すでにわかっているとはいえ、そうしないとあなたの居場所がないと思い込み、周囲を脅かすことでなんとかあなた自身を正当化している。もっといえば諦めの境地に近く、そうしないと生きていけないわけだね。正直なところ、自ら進んで誰かを負かそうという強い意志で生きているわけではなく、むしろ仕方なくそれに巻き込まれてしまっているのかもしれない。だから誰かを打ち負かす度に大きな不整合を感じている。モヤモヤしながら、そうせざるを得ないから許してほしいという罪を負っている。そしてそれを必死に誤魔化そうとして、次の戦いに明け暮れる毎日だね。そんなことを続けていれば、毎日が苦しみの中にしかないのは自明の理だし、あなたはすでに嫌というほど知っている。でもそこから逃れられないのも、またあなたの弱さであることもわかっているわけだ。

持続力

そういうことならどうすればいいのか。もうすでにその方法も方向もわかっているね。真の意味で強者となるべきものは、あなた以外の弱き存在を助けることができるものだ。勝ち負けという狭隘な価値観だけで驕り高ぶることはせず、彼らの真の愛を注ぐことができる強さを身につけなければならない。取るに足らないから見ないふりをしているそれらに対して、あなたはあなたの命をどこまで注ぐことができるだろう。みんな自分が生き残ることだけで精一杯だから仕方がないと言い訳をするのは、真の強者ではないね。それらを含めてもどれだけのあなたが持っているものを分け与えられるかどうかにかかっている。だからといって自己犠牲が正しいとかではない。それも短絡的に考えてしまうと、わずかな瞬間の行き当たりばったりに成り下がってしまうからね。継続的に粘り強く弱い存在を支え続けることができての真の強者なんだから、それをどこまで長く貫き通すことができることが一番大事なことだよ。