校正
問題発見
あなたにとって何が問題かを見つけることは、比較的容易なことだね。あなたはそういう不足している点や、不十分な点に関してはおそらく誰よりも敏感で、ほんの僅かなことでさえ見逃さない能力に長けている。それはとても優れた能力で、そのことによって次にどうやってそれを解消するかを導き出すきっかけとなるわけだ。ところがそれよりももっと難しいことも存在しているのは薄々感じているはずだ。それは、あなたの正しさを疑うということだ。問題を発見するには正しさというものさしがどうしても必要だね。ところがそのものさし自体が間違っているかどうかのチェックを絶えず行わないと、そもそもの問題だと認定しているそれらが不安定になってしまうからね。自分の正しさのものさしを疑うというのは、実は基準そのものを何かしらの方法でチェックしなければならないから一筋縄ではいかない。
校正
そのためにあなた以外の何かとあなたを比べる必要があるのだけれども、その比べるべき何かを見誤ってしまうとさらに狂いが生じてしまう。その比較対象の選別もまた、実はあなたのものさしがそこにある。だから、それ自体も時折校正しないとならないわけだ。だからそれほど面倒なことであるならば、もう、あなたが好きなものさしで好き勝手にやればいいとさえ思ってしまうだろう。そうやって思考停止してしまうズレもそこにある。だからあなたがいつも悩んでいたり、不幸だと感じていることそのものがどうやら不安定で正確ではないのは決定的だね。もちろん正確という表現をここでは使っているけれども、それもまた恣意的なものであって本来の正確さを担保するようなものではない。ただ、あなたなりの正確さをどうやってチェックしてズレを補正していくかという手段は常に探しておくことが必要ということを、心の何処かで持っていたほうがいい。
固定観念
そうやってあなたはいつも公明正大でフラットに判断している「つもり」になってしまうわけだ。そうだから、あなたこそ正しさの使いであり、それ以外は間違いだというジャッジをしてしまいがちなんだ。ところが、あなたのものさしには歪みが生じている可能性も考慮に入れないままだと、どんどんその差が大きくなってしまう。終いにはもともとのあなたの正義とは随分かけ離れたものに知らず知らずのうちにすり替わってしまっていることがある。そういった間違いを発見するには、できるだけ早いほうがいいね。それほど時間が経っていなければ修正するにも少しですむ。けれどもどんどん時間が経ってしまうと、おそらくはもはや微調整では済まないぐらいの大きなズレとなってしまう。もちろんそれに気がついたときがそのタイミングではあるのだけれども、大きければ大きいほど修正には時間がかかってしまうね。だからこそ、そういうズレに早めに気づくための仕組みを持っておくことが大切だね。