何も得られない幸せ
何も得られない
あなたが手にしたそれらは、実は手にしたつもりであって何も得ていはいない。そんなことないとにわかに信じられないだろうけれども、全ては真実だ。もっと言うと何も得られないところに幸せがある。幸せを追いかければ追いかけるほど、それじゃないということに気がつくね。あなたが思っていたそれらもすべて見当違いのものばかりだったわけだ。なら、どうしてそこまで得ようとしてきたのか。そこでふと立ち止まって堂々巡りに陥ってますます希望が持てなくなる。だからといってそこで投げやりになるのは得策ではない。どうやっても得られないものが見えているからこそ、幸せなんだからね。手にするとか手にしにくいとかそういうのが本質ではなく、それがあなたの世界にあることそのものが奇跡なんだ。
充足
生活のために、嫌な仕事をやっている。そうすることで生きるための僅かな糧を得ることができるからだと思っている。確かにそれらは一見手にいれることができるね。ところがあなたはそれに満足しているわけではない。手に入れられるというのにおかしな話だね。なぜならあなたがいつも願ってやまないことはすべて手にすることが困難なことばかりだからだ。その僅かな糧で今ここにいるのは間違いないのに、なぜか満足できないモヤモヤを抱えている。常にそうじゃないと思い続けて新たなアクションを起こし続けている。すなわち常に不足しているからこそ、簡単に手にすることができないからこそ、夢と希望が湧いているわけだ。それは掴みどころがない幻のようなものでありながら、生きる力の源泉でもある。だから手にすることばかりに注目するのは、とても偏った世界に生きているとも言える。
自我
そこで見えてくる世界は、あなたがそこにいながらどこにもいない世界だ。満足とか損得とかそういう次元を超えたとき、すなわち何も手にすることができない世界にいるときにあなたが願ってやまない世界が訪れる。何かを手にする世界では決して満足できないようになっているからだね。身近な誰かのために、あるいは見知らぬなにかのためにあなたの命を燃やしたとき、それが見えてくるようになっている。いつまでもあなただけの取り分しか考えず、いろんなことにチャレンジしたところで、おそらくはすべては不十分だったと感じるだけだろう。悔いのない人生という素晴らしさを手にするには、実はあなたのやり方を真逆にする必要があるということだ。だから何も得られないことに夢中になればいいだけだ。それこそが幸せの真っ只中ということなんだからね。