映画館の座席
最初で最後
今起こっているすべてのことは、ある意味最初で最後のことが多い。すべては似通って過去にも同じようなことがあったように感じられることが多いだろう。けれども、細部をよく観察してみれば、やっぱり全く同じということは一つもないことを発見するね。そういった細部の違いはあなたの中で勝手にデフォルメされて、過去の何かに分類されてしまっているだけだね。それが証拠に、いつも見ている木々の葉は、あなたの中では見知ったそれらだけれども、一枚たりとも全く同じものを見つけることができない。特徴はすべて共通であっても、それらのわかりやすい部分だけであって、大きさや葉脈の場所やその太さなどつぶさに見てみると少しずつ違っている。現代社会ではその自然なるものに対してわざわざ多様性なんていう言葉を今更当てはめてみたりしているけれども、もともとそうだったとしか言いようがないわけだ。
奇跡の瞬間
だから、いつものような日常で刺激がなくてつまらないとデフォルメしてしまっている。そういうときは小さな差異を見つけてみるといいね。全く同じだと感じているそれらに対して、しっかりと観る観察眼を持った瞬間に、世界の広がりがぐんと大きくなる。そして、すべてが希少でありまさに多種多様の中にずっとこれまでも生きながらえてきたことに自然と感謝の念が湧き出るだろう。そう、当たり前の対義語はありがたいということだ。こんなにすべてが違っていて、すべてが輝いている世界に生きていることに喜びを見つけることができるはずだね。間違いなくあなたは奇跡の真っ只中にいて、出会いや別れなどすべての事にありがとうと思えるようになる。しかもそれらは、これまでも、おそらくこれからもあなたがそこにいる限り途絶えることもなく脈々と続いていくわけだ。
原点
人生はつまらないと思えば、すべてがそうやって矮小化されてつまらないものとなるし、唯一無二の日々が楽しみで仕方がないとワクワクしていれば、すべてがあなたのために誂えたもののように、光り輝くものとなる。単につぶさに観るかどうかですべてがひっくり返るわけだね。世界を変えるなんて大それたことだと想いこんでいるけれども、実はそうではなくあなたが変われば一瞬にして大転換することができる。そしてそれをそうやって見つめているあなたは、実は普段あなた自身という視座からはずっと離れたどこかにあることに気がつくだろう。あなた自身だと思っている場所からは、おそらく近すぎてあなたにはその細部は見えにくい。そこから少し俯瞰できる場所、すなわちあなた自身だと思われるその全体像を俯瞰できる場所から観るとわかるだろう。もしくは、あなた自身がいつもいる場所から、小さな差異を見つけようと目を凝らしてみても良いね。結果としては抽象化した視点であっても、近視眼的な視点であっても同じように世界は変えることができる。さて、あなたはどちらの視点から人生のドラマを見たいかな。映画館での席を選ぶように見たい場所から見るようにすればいいだけだね。