やがて消えゆくのなら
すでにある
ないものばかりに心すり減らしている間に、すでに手にしているものをすっかり忘れてしまっている。それらも永遠にそこにあるわけではなく、いつかはなくなってしまうというのにね。だから、足りないことばかりを考えて疲れたならば、今手元にあるものに注目してみるといい。そこから気になるものや、そういえばようやく手にしたその当時は夢中になって喜んでいたことを思い出してみるといいね。おそらくは、少しホッとすることができるだろう。ふと触れたそのものは、かつてのストーリーを鮮やかに描き出し、たしかにそこにあなたはいたことを伝えてくれる。もちろん今度はそのことに固執してしまえば、ないものばかりを探している状態と何ら変わらない不満や不安が再起するだろう。そうではなく、あるものに注目することで、ほんの少しだけでもあなたが今ここにいることを再確認することができるということが重要なんだ。
あと少し
冷静に考えて、あとどれくらいの回数そんな日々を送ることができるだろうね。どんどんその回数が減っていくことは想像に難くない。それも元気でこれまでと同じように体験できるのは、おそらくほんの少ししか残されていない。だからその一回一回をしっかりと見つめて行こう。すると、これまでそんなことよりも違った何かを外側に追い求めてきたことによる苦しみから開放されるわけだ。あることに感謝の念を感じることによって、なんてことのないつまらないと思っていた毎日が宝物に変わる。現代社会では、いつでも満開の桜の映像を観ることができるし、真夏の海の素晴らしさを感じられる映像があふれるほど存在している。さらには、思い出のアルバムはいつも携帯しているスマホの中に山ほど詰まっているだろう。いちいちそれらを見直したりもせず、なのにせっせと気軽に撮影してSNSにアップロードしたりしている。それも永遠に続くわけではなく、いずれそれも最終回を迎えることを知っているはずだ。
ないものねだり
だから、あとどれくらいそれらを楽しむことができるかを考えてみれば、もうすでにあなたが持っているものを大切にしてみよう。それらを顧みる時間も潤沢にあるわけではないんだからね。誰かわからないアルバムを見てみると、そこには確かに知らないけれども、健やかな人生の記録が鮮やかに描かれていて、あなたはそこからその儚さも同時に読み取ることができる。そしてその後今はどうしているのかという想いがあなたを包むだろう。それもいいけれども、あなたにも思い出や記憶のアルバムが同じようにあるわけだ。そしてあなた自身のそれをみて、あなたから少し離れてみているあなたは同じようにあるものが一瞬の奇跡でしかないことに気がつくだろう。そう、あなたという存在もこの世の幻なんだ。ならば、ないものばかり探しているそれほどないね。あるものを愛おしく見つめ直してみれば、あなたが幸せの光に包まれていることに感謝するはずなんだからね。