あなたは観客

日々

手放し

結局のところ、あなたには何かをどうにかする力はない。そういうと反論があるのもわかる。けれども、例えば自ら計画を練りに練った旅行へ行くとする。計画通りすべてが順調に進んで、あなたは見たいところや行ってみたかったところに無理なく、無駄なくスムーズに進行している。そのことに満足しているし、今日という日を楽しみにしてきたことを振り返っているね。ところがそれらはすべてそうなるようになっていたわけだ。それが証拠に、次の日は残念なことに天気が悪くなってしまった。それは計画にはどう頑張っても入れられない。さらにそのせいで交通機関が時刻通りには動かなくなってしまった。あれだけ計画どおりに進んでいた素敵な旅が、次の日には思わぬアクシデントで予定を消化できていない。そこであなたは、その不運を恨めしく思っている。けれども、見知らぬ土地で頼りのものが予定通りに動かなくなってしまった以上、あなたはそれをただただ受け入れることしかできないわけだ。

流されるまま

そう、普段からあなたはすべて支配下においてあなたが思うがまま生きているつもりだけれども、実はそれらはすべて見せられているだけのことだったわけだ。見知らぬ土地でタクシーの運転手さんに目的地を告げたあとは、あとは後席に座って流れ行く景色をみるしかできないようにね。それが言葉すらままならない外国であれば、余計にそうだ。それが正しい道のりを進んでいるのかどうかさえ、あなたにはぼんやりとしかわからない。もう、ただ乗るしかないわけだね。もちろん現代ではスマホの普及により地図とナビが見られるわけだから、おかしいと気づくことはできる。ただ、それをうまく伝えられるかどうかはまた別の問題となって重くのしかかる。飛行機のトランジットも予定通りだとそこを意識することはないけれども、ドアオープンが30分ほど遅れただけで、あなたはソワソワして落ち着かない不安に駆られることだろう。

勘違い

それはなにも見知らぬ土地を旅しているときだけではないことに気がつくだろうか。普段見慣れた光景であっても、イレギュラーなことが起こるのは日常茶飯事だね。もちろん十分見知った場所にいるからこそ、代替手段もすぐにいくつか思い当たるから、それをあなたはあなたでコントロールできていると勘違いしているだけのことだね。たまにそれらもすべてダメになることがある。それを単にあなたはついていない不運なだけだと思う癖がついている。実は捉え方の問題と、気軽さという気分の差異だけであって、あなたは何もどうにかしたことなんてないね。すなわち問題を乗り越えてきたと勘違いしているだけで、それらはすべてたまたまそうなっただけのことに過ぎない。それをなぜか自らの努力の手柄にすり替えて見ているだけだ。そう、あなたはこれまでも、そしてこれからもただただ座席に座って流れ行く景色を見ているだけしかできないんだ。ならば、それを悲観するのではなく、ただただ観客として楽しめばいいだけだね。