しがらみと偏見
白紙のスケジュール帳
これから年末・年始で何故か気忙しくバタバタしている。けれども、楽しみの予定はなにもない。なんとなく忙しさにかまけて楽しいイベントの予定を入れたいと思っているけれども、実はそうしようとすればするほどどれもこれもうまく行かず、いまいちぱっとしないね。毎年同じように過ごしているけれども、今年こそとは思うものの、いざまたやってくるとやっぱりそんな余裕はないと諦めてしまっている。それを悲観する人もいるけれども、実はそれでいい。さらにいえばそれがいいとも言える。なぜなら、何もしないという予定がしっかりそこにあるには違いないからね。なにかすることばかりにとらわれてしまっているからこそ、なんの予定もないと急に不安になってしまう。けれども、そこは何もしないでのんびり過ごすという特別なイベントがしっかりと刻まれているのだからね。
アンコンシャス・バイアス
無意識のうちに、年末・年始は忙しいけれども楽しいイベントが目白押しだし、それを人並みに楽しむことが良いことだと思い込んでいる。だから、なんとかそれに合わせようとすればするほど、余計につらくなってしまうなんて、よくよく考えてみれば何ら根拠はないことだね。世間が騒ぐからとか、友人がそうしているからとか、誰かがそうしているとか、そんなものであなたの無意識が勝手に書き換えられてしまっているだけだ。さらに悲惨なのは、そのことをなかなかあなた自身だけでは気がつかないことだ。クリスマスにはサンタさんにプレゼントをお願いしなければならないとか、恋人とは何であろうと必ず一緒にいないといけないとか、よくよく考えてみればそれは期間限定のことではなく、何気ない日常にこそ、その彩りが発揮されるね。そんなことを時期に関係なく楽しめるのであれば、特段焦ったり不安になったりすることなんてないはずだ。
あるべき姿という虚像
あなたは、科学者やパイロットといえば何気なくイメージするのは男の人だけだったり、子どもたちの世話はなんとなく女性がやったほうがいいと思っている。力仕事は男がやるべきだし、普段相談する相手は必ず気のおけない友人や仲間でしかない。それを無意識にあなたの世界の標準的なモノサシにして熟慮した判断だったとしても、そこから出てくる結果は画一的なものでしかない罠にかかっている。それはあなたが過ごした幼少期に何を教えられ、何を見たかという経験から来ていることは間違いない。その当時はそういう社会情勢だったという古い価値観であって、これだけ目まぐるしく変わる社会においては、むしろ邪魔になってしまっている。そう、なかなかそれらを自らアップデートするには骨が折れるわけだ。だから、無理に時代に合わせろというわけではなく、単なるあなたの生きた時代背景の影響でしかないことを看破することでアップデートのきっかけとなるわけだよ。