慌てないでいい

日々

楽しいこと

人生は冒険だから、いつも楽しくワクワクした人生をできれば歩みたいと思っている。ところがそうはうまく行かず、いつもがっかりしながら問題ごとに向かう毎日だね。そこで、あなたが思っている楽しさは、一体どんな構造をしているのかを考察してみよう。楽しいということは、心躍ることだとする。ワクワクやドキドキも含めていつもとは違う刺激的な何かをそこに求めている。なら刺激的であれば何でもいいのかというと、それもまたちょっと違うだろう。いろんな刺激的なことはすでに今までにもたくさん経験してきた。でもそれらの多くは、ワクワクというよりもビクビクしながら対応してきたからね。恐る恐るこれがいいのか、あれがいいのかと試しているうちに、何が効いたのかは結局のところよくわからないまま、問題は溶けていった。なくなったり解決したりすることは稀で、まさにいつもの日常と化したと言ったほうがしっくりくるだろう。

未解決

そう、それらのほとんどは未解決のままでいる。けれども、初めてそれに出会ったときの刺激はすでに麻痺してしまったのかどうかはわからないけれども、いわば慣れっこになったものも多いね。そうするとそれが日常に当たり前にあるものとして再認識されてしまう。そしていつの間にかありえないことが当たり前に変わっていくわけだ。よくよく考えてみれば、あなたが自ら解決したことなんて、すべて対処療法的に目立たなくしただけに過ぎない。それはそれとしてずっと付き合っていくという覚悟で、いつの間にか友人になっているようなものだ。解決という理想のソリューションの正体は、実は顕在化して見える化してそのまま見つめるだけということになる。さて、あなたが望む理想の楽しさとはどこに含まれているのだろうね。楽しさの仕組みを考えてみればみるほど、よくわからなくなってしまうね。

驚き

思っても見なかったことがある日突然あなたに襲いかかる。だからあなたはその時点でとても驚くわけだ。その驚きには良いも悪いもない。その後に、なんでそんなことが自らに降りかかるのかと判断することで、やっぱり損な役回りだとか、なんてラッキーなんだと判定している。そしてその判定にはあなたのこれまでの無意識の偏見が大きく関わっている。いわば今まで培ってきたあなたにとっての常識と言い換えることもできるね。そこにわざわざあなたの妄想と現実のギャップを生じさせることでしか、その判定はできない。ならば、常識を書き換えるとか偏見を排除するのはとても困難だから、その判定を仮のものにすればいい。そうすることで、断定することに注意を払うことができる。断定しなければ、判定不能となってそのまままるごとを受け止めることができるね。結局のところ驚きや刺激をジャッジしないということで大きく変わるということだ。結局は結論を急がないということだね。