やらない理由

日々

いつか必ず

今を頑張っているのは、いつかの幸せのためだと想いこんでいる。今日一日を頑張れば明日は休みだとか、今やりたいことを我慢しているのは、将来の楽しみをとっておくためだとか、いろんな理由をつけてあなた自身を説得してつらいことを乗り越えているわけだ。もちろん、それが全てダメだと言っているわけではない。けれども、そんな辛い思いをしなくても、今すぐ幸せになれることを知っているというのに、わざわざそれを選んでいるのも滑稽な話だね。多くの人は例えば定年を迎えてから、好きな趣味に没頭することを夢見ているけれども、それまで気力も体力もずっと今のままだという前提がそこにあることを忘れてしまっている。あなたの未来も今と同じように元気だという牧歌的な世界観がないと、そんな風には考えられないというのにね。

今が大切

今すぐ幸せになれるのを、わざわざ延期しているのはどうしてだろう。今はそういう時期じゃないと判断するのはなぜだろう。今すぐできることから始めないのはなにか障害があるからなのだろうか。では何が妨げになっているかを考えてみれば、それどころじゃないという他の原因を山ほど上げることができるのは不思議なことだ。お金がない、暇がないばかりで、今思っていることができない人生なんて、そりゃ幸せから遠ざかることを知っているというのにね。我慢がなければ大きな幸せは得られないというのならば、幸せは大きさによって価値が変わるのだろうか。今すぐチャレンジすれば、それが思っていたのと同じか違うかもすぐに確かめることができるというのにね。とことん我慢した先に夢が成就すれば大きな幸せが確かに得られると仮定したところで、その大きな幸せは永遠に続くのだろうか。もっと言えば幸せの大きさなんてどうやったら測ることができるのだろうね。

根拠のない思い込み

つらい先には必ず幸せが待っているとか、臥薪嘗胆が美徳だとか、困難を乗り越えてこその人生だとか、物知り顔で語る年齢になった。けれども、同時に浅はかな思慮だけれども一所懸命でがむしゃらにできる体力や気力も失われてしまったね。そこはこれまでの知恵や経験でカバーできるとしても、それをどこまで引っ張ることができるだろうか。徐々に、あなたが思っているほど身体が言うことを聞かなくなり、目は見えにくくなり、耳も聞こえにくくなっている。体調が優れない日もあったりなかったりする今でさえ、まだまだ我慢だと思っている。もはやチキンレースのようだね。あなたがこの世から去ってしまうのが先か、大きな幸せをほんの僅かな時間だけ感じることができるのか、いずれにせよ、一瞬のそれに全人生を賭けて挑むとすればほぼほぼ博打と同じことになってしまう。今やりたいのなら、言い訳をせずに今すぐにやったほうがいいのは明らかなのにね。