柔らかいあなた

日々

気づき

なにかに気づいたということに、あまりに縛られてしまうのは過去にしがみついていることと同じになってしまう。だから、それはそれとして次の気づきを探すぐらいがちょうどいい。過去の経験則に縛られてしまうと、今まさにそれをアップデートするような出来事が台無しになってしまうからね。気づきは一つではないし、正解もだんだん怪しくなっていくのが通常だ。これが真実だとか、これがベストだと思い込んだ瞬間に、新たな知見を得られるチャンスを封じ込んでしまう傾向が強いということを、いつもあなたの心の片隅においておこう。それでも今のところこれだと思うことをやめることはできない。だから、仮の姿として一時的な方向性として活用するぐらいがちょうどいいね。それ以上に大切にしてしまったり、思い込んだりするのは帰って逆効果になってしまう。

一貫性

一方で、そのときはそう思っていたなどという態度は、信頼を著しく落としてしまうこともある。ただ、昨日のあなたと今日のあなたは全く違うものだから、それでいいとも言えるね。風見鶏のように風向きで絶えず向きを変えることが決して悪いことではない。風向きが変わったこと自体に文句を言ったところで、それはそうだからあなたがどうすることもできない。もしあなたがあなたであり続けたいのならば、そういう外部的な天候や風向きに依存するのではなく、あなたの内なる矜持を保てば良いだけなのだからね。ここが大きく勘違いしがちなところでもあるから注意したほうがいい。風は絶えず向きを変えていることが自然であり、一つの事実でもある。でも、あなたがそれを無視したり、ないことにしたり、ましてや風に吹かれつつも風なんて吹いていないなどとうそぶくのはもっと最悪になるのだからね。

今にあること

今にあろうとすればするほど、過去に縛られてしまう。いい風が吹いた瞬間は今ではもう過去だからね。さらにそれを言葉化してどれほど素晴らしいことかと説明しようとすればするほど、今を忘れてしまっているわけだ。だから、そのときに感じたそれらは、それで完結でいい。そんなものは今のあなたはすっかり忘れてしまって、今を感じ続けることが結局のところ、より人生を楽しむことができる方法となる。もう終わってしまった何かを自慢げに語っているときは思い出話と同じだ。もちろんそれはそれで今が楽しいのならそれでいい。けれども、違和感や不整合を感じている反動から、前は良かったとか、かつてのあなたはこうだったんだと固執するのはもうやめよう。それこそ、あのときに目覚めたとか、思い知ったと思うことも忘れてしまおう。そんなことより、あなたの眼の前に出されたお茶を飲んで、今を楽しむことをおすすめするよ。