今日という日
気軽さ
何か問題を抱えているときは、常に重苦しい何かをまとってしまっているね。だから、そこから抜け出そうとしても、なかなかうまくはいかないわけだ。そういうときは、気軽さを探すことに全力を注いだほうがいい。できれば何気なくできることを見つけて、それをやってみるといい。何か得意なことがあればそれでもいいし、問題に向かい合いすぎてつらいのならば、全く違うことをやってみるのもいい。とにかくその根本原因は問題そのものにあるのではなく、あなたがそれに重みをつけていることなんだからね。だからあなたの重苦しい気持ちから開放されるならば、それは全く問題にならないはずなんだ。もっと言えばそればかりに注目しすぎるがあまりに、余計に事態をひどいものにしてしまっているのだからね。
メンテナンス
適度な悩み事があったり、ちょっと上手く行かないことがある方が、実は幸せに包まれることができる。何もないところで、大きな幸せを感じられないのは、その比較対象が全く存在しないからだ。ちょっとした苦味があるほうが、より旨味や甘みを感じられるのと同じように、幸せの光にあなたがすっぽりと包まれてしまうと、眩しくて実は周りが何も見えなくなってしまう。その明るい光を十分に感じられる反面、その他はすべて暗闇となってあなたから視界を奪ってしまうからね。となると、適度なスポットライトと、間接照明が周りを照らしてくれている方がありがたく感じるだろう。すべてがゼロかイチかで決めつける傾向にあるあなただけれども、実はその中間であなたにとってはなんてことのない日常であり、不満足な毎日が一番ステキな時間だと気がつくだろう。
今日の終わり
なんてことのない一日が今日も終わりそうだ。特に感動があるわけでもなく、悩み事が解決されることもなく、運命が急激に変わることもなかった。そうやって棚からぼたもちのようなラッキーな出来事もなかった反面、あなたはそこで無事にリラックスしている。それがどれほど素晴らしいことかも感じることもなく、ぼんやり明日の予定を確認したりして、また憂鬱になっていたりする。でもそうやって、来る日も来る日もきちんと来てくれているのなら、それはもはや奇跡と呼んでいいね。そんななんてことのない時間が過ぎ、眠くなってきた。さて、今日も無事に終わりそうだね。明日もし目覚めたならば、今度こそうまくいきますようにと願いつつ眠りにつこう。それでいいし、それがあなたが臨んでいたすべてでもあるわけだよ。おやすみなさい。