新たな問い
正解
正解ばかり追いかけているから、正解が飽和状態になってしまう。その結果、ますます正解が正解でなくなってしまう。これは何を意味しているのかというと、正解を探し求めるばかりになると、その正解は似たようなものになってしまい、それ以上の問いを立てることが困難になっている状態だね。もうこれ以上どうすればいいのかと途方にくれている状況と言ってもいい。あまりにその形にこだわると新たな問いを建てられなくなってしまっている。それが八方塞がりと感じる要因だね。そうなるとあなたが幸せになるための正解を見失ってしまうわけだ。不幸だとか、つらいとか感じるすべてはある意味正解主義がその根本となっていることが多い。
あなたらしさ
個性が尊重される時代で、論理的に正解ばかりを追いかけてしまうと、その結果は似通ったものになってしまう。与えられた問題に対して、解決方法が似通ってしまうからだ。そうなるとより正解を求め続けていると、どれもこれもほんの僅かな差異しか残されていないから、その中での競争に陥ってしまう。最近のモノはそういう意味ではデザインの差こそあれ、機能的には似通ったものばかりになっているね。さらに、その中での熾烈な競争原理にさらされて、かつては飛ぶように売れていたモノもそれを求める人々が減少することで、ますます激化している。もはや正解の中では生きていくのさえやっとのこととなる。
大きな問題
特に先進国において、解決しやすい大きな社会的問題は、ほぼ解決されてしまっていると言ってもいい。逆にいえばそれほど大きくない問題は、それを解決したところで対して儲からないので放置されてしまっているとも言える。これからは、それらをどうしていくのか、ということが大きな問題となっていくだろう。物質的に豊かさを実現したからこそ、逆に精神的な安定はどうすればいいのかとか、大きくは便利だけれども社会的弱者は置き去りにされがちになってしまっているとか、マイノリティの声を反映しなければならない問題解決が山積のままになっている。新たな時代において、それらをどうするかを問われている。そのままプライオリティを低いままにすれば、やっぱり八方塞がりに陥っていくだろうし、かと言ってなんとかしようとしても対して儲からない。そこで、それらの中から新しい意味を問うという力そのものが重要になってきているわけだ。