掴んだら放す、放したら掴む

日々

経験

豊富な経験は皮肉なことに帰って思考停止を促すことがある。現代社会では常に学び続けて判断基準をアップデートしないとすぐに置いてけぼりになってしまう。その必要性は十分に理解しているね。けれどもどうも思っていたようにはうまく行かないのはどうしてだろう。学びとは自ら問いをたてることであるし、それをするには自らの理想がしっかりと描かれていないといけない。まさに問題とは、問題=理想ー現実だね。これを精緻なものにするには、まずは現状把握が正しく行われていることが必要だし、理想はあなたがこうなったら幸せになれるという強い確信が必要だ。その両方がくっきりとしていないと、問いを生み出すことはできないわけだ。どちらか一方でも曖昧だからこそ、あなたは何が問題かを聞かれることが一番答えに窮するわけだ。

夢はなんですか

いつのまにか、あなたは夢を追いかけることをやめた。夢は夢でしかなく、合理的なソリューションとは似ても似つかないからだね。現代ではそれを無駄と呼ぶ。無駄なことをいくら頑張っても無駄でしかないと教えられているからこそ、有効な代替案を常に探す癖がついている。そのことで、夢なんかよりも現実的な解答の方が価値があると想いこんでいる。何度も言っているけれども、あなたはこの世に生まれてきてからこの方、何一つ問題を解決したことはない。だから現実的なそれに比重をおいたところで、未解決のまま山積みになっている。それでもあなたは地獄に落ちるどころか、今も元気に活動している。となれば、問題なんてそもそもどこにもなく、あなたが問題だと勝手に色を塗ったそれらがそこに積み上がっているだけだということになる。

ゼロ

プラスマイナスゼロは起点であり、出発点だと言われてもそれほど違和感がないだろう。けれども、そこが最終ゴールだと言われたどう感じるだろうか。いやいやゼロからスタートするのだから、人生の終盤にはそれなりの成果物をかけているはずだと思っている。でもそれを手に余るほど抱えているからこそ、新しい夢や希望を掴むことができないままでいる。そうではなく、そういうものをどんどん切り捨てて、捨て去ってしまえばあなたの両腕には新たな希望が広がっているはずだ。それを断捨離というのか、ミニマリストというのか、掃除の達人というのは自由だ。けれども、捨て方までYouTubeの動画で見られる時代だ。本来の自分を取り戻すこともないままにね。