心配無用

日々

流れるままに

運命は変えることができると信じて、あなたは常にもがき続けてきた。けれども、何一つそれが叶ったことはなく、やっぱり運命は変えることができないのかと落胆することが多いね。それには原因が明らかで、運命は変えるものではなく、乗っかるものだということを見落としているからだ。いろんな反発心から、これじゃないと自らの意思で動かそうとしてきたけれども、運命を変えるほどのパワーがそこにあるのかと問われると、全く持って力不足でもあり、そもそも力づくでなんとかするようなものでもない。それを見誤っているから、余計な不幸を自ら呼び寄せてしまっているとも言えるね。運命とは変えるものではなく、そこに上手に乗れるかどうかということで真価を発揮するものだから、その勘違いはすぐさま改めたほうがいいみたいだ。

適正

この世に生まれた以上、何か使命を帯びているに違いないと思っているかもしれない。もちろんそれは大きくは間違っていないのだけれども、それを自らコントロールできると考えるから間違えてしまうわけだ。天命とか使命とかは、あなたがどうこうするものではなく、すでに与えられた環境であったり、あなたの特性で決まっているものだからだ。もちろん、あなたの意思と同じであればそれこそ願ったり叶ったりなわけだけれども、そこはたいていズレていることが多い。だから、あなたはそれを補正しようとして無駄な努力をしてしまいがちなわけだね。素直にそれがあなたに課せられたものだと受け入れることができるかどうか、それが実はあなたの使命そのものなんだ。もしそこに違和感があるのならば、それを生み出しているのはあなた側にあるといういことに注意しよう。

意思と使命

あなたが思考する好きなことだったり、やりたいことがあなたが導かれる運命とぴったり合致していれば最大限の力を発揮する。けれども、なかなかそう上手くは行かないように仕込まれていることが多いね。色々回り道をして、なんだ結局はあなたに課せられたそれは、反発していたそれだと後々になって気がつくオチになるわけだ。遠回りの人生にあなたは嘆き悲しむことになるわけだけれども、なら、その回り道は全くの無駄だったのかと冷静に振り返ってみれば、それも目的地に十分な納得を持って到達するために必要な工程だったと知ることになる。いずれにせよ、最終的には心配しなくてもあなたの使命にたどり着くわけだから、特にその点においては心配する必要などないね。だからもう少し反発するのもいいし、諦めて流れに乗るのもいい。大丈夫、あなたは必ずそこにたどり着くことはそれこそ運命的に決まっているのだからね。