損失の向こう側
エネルギー
この世界にはエネルギーが循環しているされている。それは目には見えないけれども自然界のパワーの潮流が確実にそこにはあることからも、納得しているだろう。燃えるものを燃やす、すなわち酸化させることによって熱が発生するし、高い位置にものを置くとそれが重力によって運動するポテンシャルが上がるわけだ。ところが、そんなエネルギーも無限には引き出すことはできず、必ず限定されたものであってやがては収束してしまう。だから常に燃やし続けなければ取り出せないし、燃えるものがなくなれば見た目上なくなってしまう。あるいはものを高い位置に置くためには、そのポテンシャル以上のエネルギーが必要となるわけだ。あなたからすれば等価交換よりも、やや多めのコストを払わなければならない。とうことは、常にちょっと損している状況であるとも言えるわけだね。
先払いシステム
このちょっと損しているという点が、この世を理解するポイントでもあるね。だからあなたは何かをするためには、その結果得られる効果よりも少し多めでなければならないと感じているわけだ。だから価値ある存在になるためには、それ以上の犠牲が伴うものだと実感している。いつもより多めの何かをしなければ達成できないという前提はその体感からきているわけだ。それはすべての自然界で成立している法則でもあるという認識から、なりたい理想を叶えるためには、それ以上のなにかが必要だというのが常識だと思っている。そうだからこそ、先にコストを多めに支払うことになんら違和感がない。結局のところ、そこに無理が生じたとしてもそれは仕方がないと信じている。だから価値あるあなたを実現すべく、コツコツと過剰なエネルギーを注いでいるわけだ。
無駄と損失
そこで、無駄を極力省くという行為が疑いのないこととして正当化されるわけだ。少し損をしなければならないのだから、その損失をできる限り小さくするのは目的を達成するにおいて重要なことになるからだね。でもその一方で、あなたがこの世を生きることのコストはどうしても避けられない損失を含んでしまっている。だから正確には生きることそのものでもはや損失が発生しているわけだから、それ以上のあなたの思考によって生み出された何者かになるということを諦めたほうがより経済的合理性が保たれるという皮肉なジレンマに陥ってしまう。極端な話、生まれたらすぐに死んだほうが損失が少ないとも言えてしまうわけだ。そのパラドックスに気づきながらも、損は良くない、できれば小さくという金科玉条を唱え続けて今にある。ではそこでの損の本質はなにか、そこに気がつけば人生は逆転する。何をするにもちょっと損をする仕組みがあるからこそ、あなたがそこにいられる。だからあなたが思う損は避けるものではなく受け入れて楽しむためのものだとも言えるわけだ。