大自然の脅威

日々

突然

いつも何かは突然に起こる。もちろんそれを予知していればなんとか対処できるかもしれないと思うだろう。けれども、たとえそれがわかっていても、大自然の脅威にはまだまだ太刀打ちできるほどの力は備わっていないのが現実だね。科学がこれだけ進歩して、いつもはこの世はなんとでもなるなんて思い上がっている思考に警告を与えてくれている。それに常に備えているつもりでも、それ以上に予想外のことが起こることがまだまだ多いね。退屈な日常とか、誰かの悪口ばかりを言う毎日に飽き飽きして、まるで人生の舵取りを自らがやっているかのように勘違いしているあなたに、それが単なる思い上がりに過ぎないことを突きつけてくるわけだ。あなたがなにかをどうにしているような勘違いをしているけれども、実はなんの力も持たないことを改めて教えてくれているとも言えるね。

無力

あなたは何かをどうにかしてきたことなんて一度もない。それがいつもならなかなか受け入れられないかもしれないけれども、大きな災害を目の当たりにして、ようやくそれを思い出すわけだ。それまでは、あなたはあなたの思考と叡智でこの世をなんとかできるんじゃないかと思いこんでしまっている。もちろん、あなたの視点や考え方の工夫によっていつもの景色を少し違うものとして見ることはできる。けれども、それは見方が変わっただけであって、それ自体のパワーと脅威に関しては全く持って無力だね。ましてや、あなたが個人でなにかをどうにかするなんていう力は、取るに足らないどころかほんの少しの役にも立たないぐらい小さいことに改めて知る。だから仲間が必要であり、共同体を作り、社会を構成しているわけだ。なのにいつの間にか自己責任なんていう滑稽な屁理屈がまかり通ってしまっている。個人で何の責任取れるのかを真剣に考えたことがないからそうなるわけだね。

戯れ

でも何もないときに、時には思い上がって大自然の一部であることも忘れ、科学とエビデンスによって万能感にあふれて自信満々に責任論を語ることができることはとても幸せなことだね。それはもちろん大いなる勘違いなんだけれども、その勘違いをさせてもらっている事自体が素晴らしいことだ。そんなひとときを持てることは、人類のこれまでの歴史に裏打ちされたたゆまない努力の成果だと言っても良いね。そしてそれがあまりに過剰になりすぎてしまったときに、それを少し引き戻すために大自然がそれを知らせてくれている。それすらもコントロールできるなんて言う意見もあるけれども、少なくともそれだけのエネルギーをコントロールできるのかというのは、少し謙虚になって考察した方がいいね。大自然の現象まで意のままに操ることができるのならば、それをもっといい方向に使う方が多くの人が幸せになれるはずだからね。